本文
碁石と赤石で
国道286号バイパス説明会を開催!
▲住民の方々に計画を説明する県の職員 10月27日夜 富岡小体育館にて
国道286号碁石~赤石間のバイパス計画の説明会が、10月27・28日に富岡小学校と仙台市の南赤石集会所で開催されました。
両日とも、宮城県と仙台市の道路部局の担当者らが一堂に会し、地元住民の皆様に、計画の概要や必要性について説明がなされました。また、質疑応答では、様々な意見が出され、改めてこの路線の重要性を認識したところです。
これまで多くの先輩方が、道路改良を願って東奔西走をしてきた訳ですが、これからが正念場です。
議会の方々と一致団結し、これまで以上に要望・請願活動を継続していかねばならないと思っています。
南赤石地区の住民の方々からは、「この事業は、何といっても川崎町にがんばってもらわねば・・。しかし、わざわざ町長さんが、ここまで来て、私たちに協力してくれと頭を下げるなんて。びっくりしたなや」そんなことを言われました。
▲様々な場所で道路改良をアピール(左から2人目)
▲仙台市長とも協議を重ねる
百年前のポンプ見事な放水
笹谷地区にて発見 団員の手で現代に甦る
手動式のポンプと笹谷の消防組員たち。当時は、川崎消防組と称した。32戸を焼失した大火から10年後、明治44年7月にポンプが配備された。これを組員はことのほか大切にし、手入れを怠ることはなかったという。セピア色の写真からもその輝きがわかる。明治という時代に生まれ育った人々の気骨とりりしさが伝わってくるようだ。
大正13年6月17日撮影 北原 鈴木實氏所蔵
9月3日の河北新報に大きな見出し「腕用ポンプ復活の放水」と、今から105年前、明治44年に笹谷地区に配備された消防ポンプのことが掲載されておりました。
郷土史年表をみると、このポンプが配備された時代には、数々の大火が町内でおこり、多くの人々が焼け出されたとあります。
▲町消防団が昨年11月、町公民館笹谷分館に保管されてあるポンプを発見。副団長の菅野節男さんが1カ月以上かかって修復。エメラルドグリーンと赤の配色で当時の姿を再現した。かつて町内では集落ごとに1台ずつ配置されたが、現在は笹谷地区にしか残っていない。
▲力を合わせてポンプを作動させる笹谷班の団員。その感触に思わずじ~んとくる。
▲見事な放水。予想以上の水の勢いに会場から「おぉ~」とどよめきの声が。手前は「まとい」を振るう人、昔は一番の勇者が持ったという。
当時の民家は勿論、かやぶき屋根ですから、風の吹く日に火の手が上がれば、人々は、なす術もなく自分たちの家が燃え尽くすのを見ているしかなかったことでしょう。
そのような時代、高価な最新式の消防ポンプを購入しようとした先人たちの思いは、いかほどのものだったのでしょうか。
ちなみに川崎町に初めてガソリンエンジンポンプ手引四輪車が導入されたのは、大正12年11月。折りしもあの死者9万余人を数えた関東大震災の2カ月後のことでありました。
ところで、川崎町では2年前から国の制度を活用し、高い機能を有する消防ポンプ車を確保すべく働きかけを続けてまいりましたが、この度ポンプおよび救助機材を装備した車両を、消防庁より支給されることと相成りました。年内中に配備される予定でございます。
多くの市町村が、この制度を活用しようと手を上げる中、宮城県内では川崎町だけが採択されました。
いつの時代も思いは同じ
それは、昨年から消防演習に参加している消防団の役場班の存在であります。町の職員も、消防団、婦人防火クラブのみなさんとともに、火災現場、災害現場の最前線に立つんだ、という意気込みが評価されたのだ、と私は思っております。
私たちは、ひとりでは何もできません。ひとりひとりが協力し合ってこそ、火事や災害から家族を守り仲間を守り地域を故郷を守ることができるのです。
100年前、先人たちは、食べるものを控え、学ぶことを控え、楽しむことを控えて、この消防ポンプを購入したのでしょう。
子どもたちや孫たちに、家や財産を残すために、守るために。
いつの時代も、人々の思いは同じであります。
今後とも、みなさま方には、故郷の安心、安全、安寧のために御尽力賜りますようお願い申し上げるとともに、本日、御臨席の方々の御健勝をお祈りして、私の告辞と致します。
川崎町が、ふるさと納税の返礼品として用意していた「一日町長体験」(納税額30万円)に東京都渋谷区のコンピューターソフト開発会社社長小山文彦さん(43)が応募され8月8日、奥さまと共に町を訪れました。
多くの職員の出迎えと花束のプレゼントに驚いた小山さんご夫妻でしたが、町長室に入って驚きが感動になります。それは、机の上に置かれた名札。どっしりとした木材の重厚感と文字の美しさに思わずニコッ。
同じ名字に縁を、ユニークな企画に粋を
机の名札が気に入った小山文彦町長。記念にもらえると聞いて感動。
「川崎町にはダムや公園、温泉、ゴルフ場まである。一日町長体験を企画する職員、企画にのる町長と人材もユニーク。これは、とても大切なことです。」山口県で生まれ育ち東京で就職。やがて起業した小山文彦社長にとってユニークとは、生き残るための重要な武器なのです。
その後、議場で職員に訓示をしたり、課長会議に出席して意見を述べるなど経営者らしい面がチラリ。
昨年4月から始めた企画ですが応募されたのは小山さんが初めて。
「小山町長と名字が同じ字、縁を感じます。小さい町でも誇りと独自性を持ち、ユニークな試みをする町に「粋」を感じました」と話す一日町長は、青根温泉に宿をとり、翌日は、町内のゴルフ場でプレイ。
さて、平成20年度から始まったこの制度、26年度までは年に42万円程度の納税額でしたが、27年度から返礼品を追加。するとその額は、なんと10倍以上になりました。
小山町長が描いた美人画イラスト。名づけて「春を待つ心」 町長はこの紙面に自筆の礼状をしたためる。相手方の出身地や現住所、納税された理由によって、その文面は様々。手にする万年筆は大好きなパーカー製。
ちなみに、私は納税された方、すべての方に、感謝の気持ちをこめて礼状を出しておりましたが、時おり、納税者の方から手紙をいただくことがあります。一部を紹介いたします。
ふるさと納税ありがたやです。
この8年間、小学校の統廃合や児童教室の設置、こども園の創設、川崎校の存続など、大事な仕事を与えられたことに感謝しています。
仕事をするなかで、多くの人から御指導、御協力をいただき、
「人間ってすごい力を持ってる。人間力ってすばらしいなぁ」
そう思えることが何度もありました。
また、生まれ育った川崎町のために少しでも役に立ちたいと思い続けておりました。そして、何より私を勇気づけてくれたのは、目の前の子どもたちです。この子 供たちが将来を担っていくんだ。社会の一員として、しっかりと生きる力を育まねば。先生方と一緒になってがんばろうと志教育を掲げたのです。
仕事に楽な仕事はありません。
難しい局面になっても、仲間がいました。教育委員会のみなさん。職員のみなさんが。みんなと相談し、励まし合い、高め合い、認めあっていけばいいんだ。悩んでいることはない、と自分に言い聞かせたのです。
22歳から70歳まで48年間。教育は心。行政も心。教育は人。行政も人。心と人です。仕事がどんなものであっても、つらいと思ったら負けです。
仕事は人がするものです。企画・判断・挑戦するのも人です。これから一町民となっても、心を大切にして暮らしていきたいと思っています。
みなさんの知恵と創意が、川崎町に活気と発展をよびこむのです。がんばってください。お世話になりました。心から感謝いたします。
7月1日 退任式で職員への挨拶
教育長 佐藤 芙貴子
私の尊敬する政治家が
「教育ほど大切で、無駄なものはない。重要なことは、素晴らしい教育者にであえるかどうかだ」と言っています。教育者とは子どもたちにとって絶大な影響力を持つものです。ましてや町の教育関係者を束ねる教育長の責任は、計り知れないものです。
私はこれまで多くの教育関係者を見てきました。その中で、彼女ほど明るく元気で礼儀正しい人を見たことがありません。
教育長は難題の小学校の統廃合や柴田農林川崎校の存続に道すじをつけてくれました。町民を代表して心より感謝と御礼を申し上げます。そして、教育長を毎 日、仕事に送り出して下さった旦那さまに敬意を表します。しかし、何だかんだ言っても、教育長が、風邪をひいたり具合がわるいなどということを聞いたこと がありません。大したものです。それだけ、健康にも気をつかっていたのでしょう。
子どもたちも父兄も町民みんなが、あなたの明るい声に、元気な姿に、礼儀正しさに、前向きな姿勢に、元気と勇気とやる気をいただきました。8年間、本当に御苦労さまでした。
ある日の教育長 寒い中でも元気はつらつ 若さいっぱいの教育長
青根温泉 雪あかりにて 2016.2.13
『今から約四百年前、伊達政宗公はここ青根温泉の湯で、戦の傷を癒しながら仙台藩の領国経営を練っておりましたが、
「いざ鎌倉‼」
急変があれば城のある青葉山に狼煙(のろし)が上がりました。
狼煙が、ここからはっきり見えます。知らせを聞いた政宗公、
「馬ひけぇ~」
とばかり用意してある駿馬(しゅんめ・すぐれてよい馬)に飛び乗って一路、青葉城に帰っていきました。
昔は馬、現代は車。
馬をつなぐ所、車をとめる所は、昔も今もとても重要な場所です。
このたび、青根温泉を訪れるお客様のために、安心して利用できる駐車場とトイレを整備いたしました。
また、いざ鎌倉! ならぬ、いざ蔵王の噴火などに備えて、防災無線のスピーカーも設置しました。
このスピーカーですが、普段は正午に(丘をこえて)、夕方5時には(影を慕いて)の古賀メロディーが流れ、観光客の皆様は勿論、青根地区の人々に、時報と音楽を提供しております。
利用しやすい駐車場とトイレ。
情報を伝える防災スピーカー。
3点セットで整備することができました。
この事業に関係したすべての方々に感謝するとともに、青根温泉街がますます活気づくことを期待しております。』
記念式典でのスピーチ
▲広々とした駐車場に、かわいいトイレが出来ました。おとなりは、御存知の青根洋館。おそろいの色合いでとってもシックです。その奥は青根駐在所。
4月12日、川崎町は青根温泉に新たな駐車場とトイレを整備、記念式典を開催、関係者 約70人が出席しました。場所は共同浴場「じゃっぽの湯」の道路向かいで、青根温泉のシンボル「青根洋館の」北側に整備。広さ約一一〇〇平方メートルで乗 用車35台分のスペースがあります。公衆トイレも広くてキレイ。チョコえもんもびっくり。
会場には、古賀メロディーが流れ訪れた観光客らには、紅白の餅などの記念品を配りました。
駐車場からの眺望は最高です。
新緑の季節、青根で会お~ね。
▲使いやすくて明るいトイレに、チョコえもんは大喜びの様子。「みんな来て見てチョコ!」
青根温泉 観光用駐車場・公衆トイレ整備
総事業費 2,856万円
(そのうち750万円は国からの交付金)
駐車場面積 1,100平方メートル アスファルト舗装
駐車台数 35台
トイレ 木造平屋 延床面積 22.8平方メートル
男子トイレ 小便器2基 洋式便器1基
女子トイレ 洋式便器2基
青根温泉 防災無線・スピーカー設置事業総事業費 2,073万円
防災警戒情報を青根温泉地内に音声によって拡声放送するもの
すべては、ここから始まった
かねてより青根温泉を活気づける方策はないものか、と議員各位や町民の方々から町当局に心配の声がよせられておりました。
そこで私は、平成26年7月、青根地区の代表を中心とした研究会を発足させるべく、動きだすことを決意。
目的は、青根地区の人々の意見を確認しながら、青根温泉の活性化に向けた取組みや駐車場整備の方向性を決定してゆくため、意見交換の場を設定するものでした。
地区の方々の意見を聞き、それを集約しなければ、事業を推し進めてゆくことはできないからです。
2カ月後、第1回の研究会が開催され、12月には2回目、明けて平成27年3月には、整備計画の大筋がまとまりました。すべては、この研究会のメンバーの御苦労から始まったことでした。
蔵王山が噴火したら
昨年、青根と峩々温泉は、風評被害に苦しめられました。町も様々な対応をとりましたが、青根温泉内に素早く正確な情報を流せるようにと防災スピーカーを設置しました。場所はじゃっぽの湯の裏手です。
観光客と住民の方々も安心です。
もちろんビジョンを持つことは大事ですけど、
結局は目の前のことの積み重ねが、将来や自分の姿、
成功につながると思います
五郎丸歩
▲青年団の広報 昭和59年11月23日号
「目の前のことの積み重ねが、将来や自分の夢、成功につながる。」
昨年の秋、イングランドで開催されたラグビーのワールドカップ。過去24年間勝利のなかった日本が、世界最強国のひとつにあげられる南アフリカを破った一戦は、ラグビーという競技にとどまらず、世界のスポーツ史上最大のサプライズとして国境を越えて世界中に衝撃を与えました。
この活躍で、日本にはラグビー人気が沸騰しました。その中心にいるのが五郎丸選手。彼の大切にしている言葉を紹介しました。
34年前、私は青年団長から広報部長となり、毎月「青雲」という広報を発行していました。ワープロもパソコンもない時代。ボールペン一本での手書きでした。
この時の積み重ねが、現在の町長という役職につながっているのかも知れません。情熱は私をずっと支えてきました。これからもそうです。
『あらゆる組織が、「人が宝」と言う。ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。』
この言葉の後に「本気でそう考えている組織はさらにない」と経営学の父、ピーター・ドラッカーは続けています。彼は「人を軽んじている組織があまりにも多く、その理由として、企業が人を求めている以上に人が企業を求めているという社会風潮が広まっている」と考えていました。そして、「優秀な人材は、いつの時代も不足している。おまけに少子化の時代になれば優秀な人材を確保することは、さらに難しくなる」と結んでいます。
人は宝 人は資源だからこそAKBでがんばろう!
蔵王から吹いてくる風が穏やかになった今日、このごろ。職員から声をかけられることがあります。
「町長、AKBだったおね!」
「んだっちゃ。合言葉はAKB」
話は一月四日の役場の御用始めにさかのぼります。私は新年の挨拶の中でこう結びました。
『年頭にあたり、私は自分自身に、そして、職員の皆さんに、AKBの3ヶ条を提案するものです。
A 挨拶を大きい声でしっかりとすること
K 感謝の心を忘れずに仕事にのぞむこと
B ベストな体調を保ち時間を守ること
AKBの3ヶ条をもって、私は陣頭指揮をとる覚悟です。皆さんにもAKBでがんばってほしいと思います。今年も一年どうぞ、よろしく』
経営学の父、ドラッカーは、優秀な人材を得ることは、とても意味のあることだ、と述べています。
しかし、人材を育てることは、人材を得ること以上に大事なことだと私は思っています。人材を育てることは難しい。誰しもができるほど容易なものではありません。
いつの時代も、組織は人です。
人材なくしていかなる組織も発展することはありません。人材を集め、この人材を育てることは、すべての組織の根幹であり、その成長発展にとって大きな意味をもつものです。
もとより私は教育者でもなければ高い教育を修めた者でもありません。
ただ町長として四年半、ともかく忙しく、気力に満ち、驚くべき体力で過密なスケジュールをこなしてきたと思っています。町長は、対外的には町の代表であり、その意思決定は地域と行政の行方を左右するものです。さまざまな政策と交渉・折衡を行う場合「1に筋、2に熱、3に顔」が原則。そして、AKB。
一生懸命な姿勢を町民はもとより職員にみてもらうこと。感じてもらうこと。これが私の職員を育てる方法だと思っています。
![]() |
![]() |
小山町長 「芋ノ窪橋付近は上下線とも勾配があり、きついカーブで見通 しが悪い。特に、道に不案内な運転者がナビに導かれ、橋の上で対向車とすれ違おうとするも、幅が狭く無理と判断。急ブレーキで橋の欄干に衝突する事故多 発。多くの県民から不安の声あり。県民と県政の橋わたしのひとつとして改良工事を願いたい。」 |
村井知事 「平成26年度より耐震補強工事を実施、平成27年度は支賜 工事と床板工事をしている。幅員をひろげる工事を現在、検討しているところだ。それがまとまれば、28年度中に着工する。あわせて橋に進入するまでの道路 に段差施工(スピードをゆるめるための工夫)をする。それほど時間がかからずできると思う。」 |
村井知事は2月2日、亘理町で開かれた県南サミットで、川内芋の窪橋の幅員拡幅工事を平成28年中に着工する方針を示した。小山町長の要望に応えたものです。
橋の整備については、小山町長がかねてより議会と連携して、各方面に働きかけを続けてきましたが、知事が公の場所で工事予定について述べたのはこれが初めて。
国道457号は岩手県一関市から宮城県白石市をつなぐ全長187キロの重要な幹線道路。国道286号と接続し、並走する国道4号の渋滞緩和の大役を担うなど、その役割は年々、重要視されてきました。
特に、仙台市秋保町長袋から本砂金を経て川崎町北川に至る区間は、信号もなく渋滞もおこりにくいため、観光バスや大型トラックの交通量が増加傾向にあり、事故も発生していました。
県南サミットは、県南4市9町の首長と村井知事が意見交換するもので年2回開催、21回目の今回は「わたり温泉鳥の海」が会場でした。
今年のNHK大河ドラマは、御存知、真田丸。400年前の大阪夏の陣。戦国一の戦上手、真田幸村が徳川家康の本陣を攻めるのがクライマックスになります。
さて、次回のサミットは、8月31日(水曜日) 川崎町で開催が決定。まさに川崎夏の陣となります。そこで小山町長、得意の漫画でイメージポスターを作成。なんと独眼竜政宗ならぬ独眼竜村井知事の勇ましい姿。
「いざ、川崎夏の陣。おのおの方、御油断めされるな。次回は川崎町にて、あいまみえましょうぞ。えいえい、お~」と小山町長。
これには、一同拍手大喝采。第21回のサミット無事終了の一幕でした。
小山町長は昨年の12月、山形市長に就任して2カ月の佐藤孝弘氏を訪問し、お互い連携協力してゆくことを確認した。内容は次のとおり。
町長
「私は仙台市と山形市をつなぐ川崎町と位置関係も含めてアピールする場合が多い。太平洋側と日本海側をつなぐ町として山形市と密接な関係を築いてゆきたい。」
市長
「同感だ。特に交流人口を増加させるため国道286号、48号の整備は急務。48号は雪で通行止めになる時がある。仙台、東根、天童と連携せねば。286号はどうか」
町長
「碁石~赤石間は、来年度着工となった。一日も早い完成を目指して働きかけをしてゆきたい」
市長
「ありがたい。東北地方の道路網は縦軸をつなぐ横軸の整備が不十分。雪の対策は私たちの懸案」
町長
「懸案といえば、少子化対策、この国の一番の問題はこれだ。景気の善しあしに関係なく、子育て支援策を打っていかねばならない」 市長 「選挙では、子育 て支援をはじめ定住人口を増やす政策を掲げた。育児と介護の環境は、若者が生活するうえで大きな意味をもつ。3歳の長男の育児を通じてあらためて、働く場 所と生活する場所を両立できる環境が大切だと痛感した。」
市長
「選挙では、子育て支援をはじめ定住人口を増やす政策を掲げた。育児と介護の環境は、若者が生活するうえで大きな意味をもつ。3歳の長男の育児を通じてあらためて、働く場所と生活する場所を両立できる環境が大切だと痛感した。」
町長
「少子化で親は少ない子どもたちに、幼少から多くの時間とお金をかけて習い事やスポーツ、教育の機会を与える。成長した彼らは仕事のある地域に集まるようになる」
市長
「確かに魅力があり仕事がある地域に人が集まるということ。東北地方にあって仙台市の存在はとても大きい。山形市の経済発展も仙台市との関係をお互いにプラスになるよう築いていけるかにある」
仕事は仙台でも子育ては川崎で
町長
「県都同士が隣り合い、すぐ近くにあり、一つの経済圏になっている。私は仕事は仙台でも子育ては川崎町で、と新年度から2人目以降の学校給食無料化を目指し子育て支援の拡充と定住促進に力点をおかねばと思っているところだが」
市長
「自力で人口を増加させるのが一番。ただ、周辺自治体との合併も視野に入れている。企業誘致や観光地への誘客など、まずは、合併したくなる県都、山形市に変わらねばいけない」
トップが動く
市長
「選挙ではトップが動くと訴えた。行政は内向きであってはいけないと思う。市民の目線を大切にして、まずはトップ、自らが動く姿勢をもたねばと感じている。」
町長
「住民の目線がどこにあるのか、首長は常に敏感でなくてはならない。私たちは市、町の顔。その顔が明るく輝いていることが一番」
会見終了後、二人は笑顔でがっちり握手。帰りの車中で小山町長は、(若くて瞳がきれいな好漢だったなぁ)とつぶやく・・。
山形市長 さとうたかひろ 40歳
東京大学法学部卒。経済産業省職員を退職、おにぎり専門店を開業の後、東京財団研究員などを経験。平成27年9月の市長選で激戦を制し、第18代の山形市長に就任。北海道函館市出身。
副町長は20%、教育長は15%を減額
町長の任期中に2,000万円を捻出、子育て支援にあてる
昨年の12月議会に、町長、副町長、教育長の給料をカットする考えを提出 しました。神崎、石野、沼田各議員から様々な疑問や意見が出されましたので、私の思いを述べさせていただきました。その後、この案は全員賛成で可決されま した。これにより1月分から給料をカットします。
どこの市町村でも財政のやりくりは大変であり、重要政策をとってゆくためには、リーダーの見識と説明する能力が不可欠だということを痛感したところです。
あらためて捻出された予算は、子育て支援にあててゆくものです。
寒い日が続きます。みなさんからだを大切に。
これまでの給料 | 1月分からの給料 | カットした分 | |
町長 | 84万5,000円 | 59万1,500円 | ▲25万3,500円 |
副町長 | 61万円 | 48万8,000円 | ▲12万2,000円 |
教育長 | 53万9,000円 | 45万8,150円 | ▲8万 850円 |
○給料をカットする期間
平成28年1月1日から平成31年8月27日まで (町長の任期終了まで)
○この期間中にカットされる金額の合計
町長分 1,112万1,290円
副町長分 535万2,258円
教育長分 354万6,968円
合計 2,002万 516円
子どもたちは、未来への希望の星!です
今から150年前、アメリカの第16代大統領エイブラハム・リンカーンは言いました。私たちは、この町に集いこの町に営み、この町に生きる家族です。お互いに助け合い、支え合い、慈しみあっていかねばなりません。
新年あいさつ会での小山町長 1月8日 山村開発センター
議会の承認をいただく
自分の給料を減らして、子どもたちのための政策をとりたい。そう思っても、まず議会の承認を得なければなりません。
平成23年8月に町長就任。翌9月議会に公約だった町長、副町長、教育長の給料30%を削減する議案を提案しましたが、賛成5・反対7で否決。議員の皆さんへの説明が不十分だったと力不足を後悔しました。 明けて24年3月、町議会議員選挙が執行、2人が初当選。新しい構成で議会がスタートすることに。
そして迎えた6月議会。再び、給料削減の議案を提案しようと思いましたが、議員の方々には、それぞれの意見や思いがあり、結果的に町長は35%、副町長は20%、教育長15%の削減案で全員賛成となりました。
おりしもこの6月議会で、佐藤芙貴子教育長の再任が認められ、その後に佐藤孝行氏を副町長に選任することも同意いただいたわけです。
時を経て、昨年8月、再び町長に就任させていただきました。今回も子どもたちのために身を削って予算を確保したいと思い12月議会に臨んだわけであります。
議会でのやり取り(12月10日議場にて)
※内容を要約したものです。
【神崎議員】
削減する期間が町長の任期中ということだが、課題が山積している現在、副町長は滞納対策本部長も兼務している。教育長は、いじめ問題などがある。賛同が得られる方を選出、任命するということか。
【町長】
4年前も上杉鷹山公の話をしました。縁があってこの町の町長にさせていただいた。副町長も教育長も。
「受け継ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母」町民のために身を削って一生懸命やる、これはトップの大切な意気込みです。賛同できる方がおられるので人材に不足することはないと思っています。
【石野議員】
従来、町長の減額率が35%、今回は30%の緩和の提案であります。5%減額緩和の理由は。
【総務課長】
前回は町長が就任後、すぐではなく10カ月ほど過ぎておりました。金額的にはほぼ同じになる考えです。
【沼田議員】
子育て支援などと言わず、ぱっとやった方が格好いいのかなと思いますが、いかがか。
【町長】
財政が健全で次の世代に何を残さなくてはならないのか。何をやらなくてはならないのか。その中で、町長の自由になるお金というものは皆さんが思うほど大きなものではない。
30%カット、これは大変なことだと思っています。自分の身を削ることがいかに大変なことなのか、皆さんわかっていると思います。
【沼田議員】
カットしなければやっていけないのか。私はそんなに余裕がないのかなとも思わないんですが。
【町長】
私が申し上げているのは、その覚悟でトップをつとめ、そして職員も導いていかなくてはならない。町民の皆さんにも、そのことを理解してもらわなければならない。決して町は豊かではないんだよ。だから。みんな一生懸命考えてください。我々も考えます。そういった思いです。
新しい年が始まりました。
これまで、多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。
繁栄の時があれば、暗雲の立ちこめるときも ・ ・ ・ 。
しかし、どのような時も、この町が持ちこたえられたのは、指導者の見識や力量だけでなく、人々の努力と忍耐があったからなのです。先人たちは、苦難をやりすごしては、立ちあがり気力を振りしぼっては、地平線を見すえました。まなじりをあげて歩みつづけたのです。
東日本大震災から、まもなく5年・ ・ ・ 。
未だ20万人近い方々が避難生活を余儀なくされているほか、原発事故の影響を受けた地域では、復旧・復興事業が進展していないなど、依然として厳しい状況にあります。
また、昨年は蔵王山の火口周辺警報が出され、その対応と風評被害の対策に追われたことも忘れてはなりません。
あらためて自然災害の脅威を覚えると共に、有事の際の心構えを新たにしているところです。
いつの時代も試練は現実のものです。
けれど、先人たちが試練をのりこえてきたように、私たちも、地平線を見すえ歩んでいきましょう。
希望と美徳をもって、正直さと勤勉さ、勇気と公平な態度、寛容さを旨として努力していきましょう。
与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に臨んでいこうではありませんか。この町に暮らす一人一人の思いが、未来を創造し、果てしない道を築いていくことを信じて。
© 2022 Kawasaki Town.