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がっちり連携 しっかり前進!
郡市長を中心に仙台市議会の方々と。川崎町議会の皆さんが脇を固める。バイパス整備事業の原動力となるメンメン。
5月18日 午後3時ころ
川崎町と仙台市は、昭和51年に連絡協議会を発足。「国営みちのく公園の早期完成」や「国道286号バイパス建設促進」など共通の課題解決に向けて、意見交換や研修を続けてきました。みちのく公園が平成26年に全園開園したことから、残る重要課題は、町民の悲願、国道286号バイパス工事の完成です。
協議会、関係者の皆様方のご尽力により事業は平成28年度に着手されました。改めて、これまでこの問題についてご苦労されてきた多くの先輩方に心より敬意を表し感謝するものです。
国道286号は、仙台市と山形市を結ぶ重要な路線です。バイパスの完成は、町民の永年の悲願であるとともに、利用者の切なる願いでもあります。
川崎町は、仙台市とがっちり連携し、事業がしっかりと前進していくよう努力していかねばなりません。
今年度の協議会総会で新たなメンバーとなった郡和子仙台市長。市長の先祖は、100年前、川崎村の村長を務めた沼田周治氏です。
沼田氏は、助役や村長として14年間、明治・大正時代の村政を担い実績を挙げました。特筆すべきことには、関東大震災の前に、当時、最新のガソリンエンジンの消防ポンプを注文したり、仙台市長町から山形市に至る県道(現在の国道286号)の整備を進めたことです。
野球の大谷翔平選手が、100年前のベーブ・ルースの記録と比較されましたが、100年の時を越えて川崎村のリーダーの思いを、ひしひしと感じたところです。
ちなみに、郡市長は、私と同じ秋保中学校出身で、市長が1年先輩です。美人で勉強も1番。才色兼備を地で行くような人でした。
「私の義弟は、37年前、碁石川に架かる橋のたもとから車ごと川に転落しました。安全な道路をドライバーに提供
するため協力してください。」話が終わると拍手が沸き起こる。 9月27日午後7時55分 仙台市南赤石集会所
9月末、仙台市南赤石集会所で国道286号バイパス整備事業の説明会が開催されました。関係地権者21名を前に仙台市建設局の担当者が、事業概要や設計内容、用地取得、今後のスケジュールを説明。
私と眞壁範幸議長も出席。宮城県側からも担当者が同席しました。
この事業の難しい所は、バイパス予定地が、仙台市分と宮城県分の2つに分かれていることです。それゆえ川崎町の歴代の指導者たちは、2つの関係機関に、同時に交渉を続けざるを得なかったのですが、ここで忘れてならぬのが、42年前、3期目の齋藤忠夫町長と議長に就任したばかりの丹野正人氏が仙台市に働きかけ、前述の連絡協議会を発足。
その後、釜房ダムの水質維持も含め、持ち上がったダム上流の下水道建設は、仙台市と川崎町が応酬する問題に発展。仙台市側との妥協点を見出した当時の大浪正志町長と議会議員の方々は、仙台市側との信頼関係を深めることに。協議会は、信頼関係と実績を持つことになります。
さて、仙台市側は、既に用地測量、橋梁予備設計、トンネル予備設計を完了しており、今年度は土地境界確定、道路詳細設計、橋梁詳細設計、トンネル詳細設計を実施するとのこと。用地については、今年度から4年計画で工区別に買収する予定。
また、今年12月から一部の工事に着手し、工期はこれより、概ね10年と示されました。
その後、質疑応答では、地権者から「何十年も前から計画が示され、うやむやになってきた。土地を使えず土地を売れず困っている。工事には反対しない。一刻も早く買収してほしい」という意見があり、多くの人がうなずく中、最後に私から、「バイパス完成は、川崎町にとりましても永年の悲願です。安全な道をドライバーに提供するために、ぜひともご協力をお願いします。私たちも、しっかり働きかけます。」
ベトナムの民族服を着て花火を楽しむ研修生たち。寮落成式と第2陣歓迎式が終わり、ほっとした様子。2月に第1陣として15人が来日。今回、さらに15人が加わり、計30人が入寮。今後、半年に15人ずつ入社し、3年間研修するとのこと。来日が決定してから日本語と日本の法律を学んだ彼女たち。食事は地元のお店で材料を購入し、完備されたキッチンで調理。食堂も明るく清潔。ベトナムの人たちは日本人と同じように真面目で働き者です。
8月27日 午後6時20分ごろ
通称リバーサイドホテル北川?とても美しく目立つ外観です。
常長音頭で第2陣を歓迎する2月入社のメンメン。1人変な人がいますが・・・
みなさん、川内の北川橋のたもとにできた建物をご存知ですか?
実は、株式会社ライフフーズ様が建設した寮なんです。秘密です。
話は、昨年の4月、レイクサイドマラソン大会の協賛金をお願いしようと福島県郡山市の本社を訪問した時に遡ります。会社は働き手を確保するため、ベトナムからの研修生を雇用したい。ついては、寮になる建物か、寮を建てる土地を世話してほしい、とのこと。私は二つ返事で承知。1カ月後には、現在地の購入契約が成立。それからも会社と町は連携して課題をクリアしてきました。
今、日本の企業は、人手不足から外国人を招こうとしています。
歴史や風俗の異なる人々と一緒に仕事をしたり、生活を共にすることは容易なことではないでしょう。
けれど、彼女たちは、一生懸命働こうとしています。よろしくお願いいたします。私の知っているベトナム語はふたつ。シンチャオ(こんにちわ)とヘンガップライ(またね)。 それでは、皆様ヘンガップライ。
ふるさと納税の返礼品「一日町長体験」に応募された半沢龍之介さん(40)が、川崎町を訪れました。 『納税のお礼に品物を送るだけでなく、体験をしてもらう。しかも、町長の体験をしていただく。』 この企画、職員のアイデアから実現。マスコミにも取り上げられ、注目度満点。すごいっちゃ!
中国から町内に嫁ぎ外国人相談員も務めている田中麗華さんと意見交換。半沢町長も中国で生まれ育ち大学卒業後、日本に移住。会社員を経験して独立。現在3つの会社を経営。2人とも日本語がとても流暢だ。 | 夏祭りの花火大会でスピーチ。当日は、町長体験記念の「光るうちわ」を1,000枚用意。お客様に配布しました。「うちわもめのないように?」 |
視察を兼ねて、イーレ!はせくら王国で昼食。食べていても食材への質問やビジネスのアイデアの話など尽きることがない。 | 工事中のセントメリースキー場サマーゲレンデにも足を伸ばす。暑さなど気にしない。どんどん斜面を登っていく。足腰には自信のある小山町長も、たじたじである。 |
「一日町長に任命します」辞令を読む小山町長。このあと半沢町長は、職員を前にあいさつ。「10年前、現在の技術革新を予想することはできなかった。だからこそ、私たちは新しいことに常に挑戦していかねばなりません。小山町長のもと職員の皆さんが、ひとつになって前向きに進んでいくことを望みます」と堂々のスピーチ。半沢町長は昨年の12月に続いて2度目の町長就任。スピーチの内容も表現力もすばらしく、取材に来ていたテレビ局のメンメンも驚いていました。 8月13日 午前11時30分 役場3階議場にて
「千の蔵より子は宝」
昔の人は言いました。どんなに多くの財宝を持っていても、子は、それに勝る宝だと。この言葉は、世界各国で使われています。
しかし、現代の日本では、「少子化」が最大の社会問題になっています。私は、町議会議員のころから、「我が町は子育て支援をもっと充実させねば」と申し上げてきました。
事を始めるには、自分から
そこで、町長に就任して一期目は35%、二期目の現在は30%、給料をカットし、子育て支援策等に充てています。もちろん、カットした金額は微々たるものですが、町民の皆さんや議会の方々の賛同を得なければ、この政策を推し進めていくことはできないのです。
要望は無限、財源は有限
かつて、役場の総務課長から議員となり議長となった佐々木丈作氏は、総務課長時代に言いました。「議員の皆さん、皆さんの要望は無限でありますが、町の財源は有限であります。一家も同じ、欲しい物すべてを買えば、家はつぶれます。」
限られた財源の中、町では次のような子育て支援策をとっています。一部を紹介してみましょう。
このところ、川崎町に引っ越して来て出産された方、ご家族、その方々の知人たちから言われます。「川崎町は、子育て支援が充実していますね。以前、住んでいた町よりグッド‼もっとアピールしてもいいと思いますよ。町長さん。」この言葉に、町長もグ ッときたところです。
「高齢者や障がいをもっておられる方、運転免許を自主返納された方のための制度です。町民バスは、人々の移動に便利なものですが、より近くまで、より好きな時間に移動できるのがタクシーの魅力。町民バスとタクシーを使い分けて、皆さんに外出していただきたい。友人と乗り合わせて利用するのもいいですね」と話す小山町長。
(公明新聞 4月14日号)
家に閉じこもっていると、誰もが心も体も縮こまってしまいます。外出は気分転換はもちろん、体力を維持するためにも必要なことです。
そこで、川崎町は「年をとっても外出する機会」を増やしてもらおうと、タクシー助成券を利用しやすくしました。広報かわさき4月号でお知らせしましたが、次の3つのいずれかにあてはまり、自動車を持たない方は、ぜひ、申請してください。
今年度中に利用できる9600円分の助成券を発行いたします。
誰もが年をとります。誰もが運転に自信を持てなくなります。子育て支援だけでなく、皆でお年寄りにも優しい町を目指しましょう。
子ども叱るな、来た道じゃ 年寄り嫌うな、行く道じゃ
AKBの3カ条を胸に、町民のために努力を新たに採用された7名をはじめとする職員、嘱託、および臨時職員に辞令を交付したのち挨拶する小山町長。「町長を筆頭に全員が初心に返って、AKBを胸に刻み、自分の役割を果たしていこう」と述べました。そして、ドイツのゲーテの言葉を引用し、「全員が仲間。仲間として努力を続け町民のために働いていかねばならない」と結びました。嘱託や臨時職員の方々にも直接、町長が辞令を交付し、仲間として協力を願うものであり、小山町長が就任してからの試みです。新年度の緊張感が伝わってきます。
4月2日午前9時ごろ 開発センター3階ホール
蔵王から吹いてくる風が、いつの間にか穏やかになり私たちの町も、今、春の息吹の中にあります。
新人の諸君は、これから始まる仕事、人間関係を思い、期待と不安で緊張しています。しかし、本来、緊張すべきは、町長を筆頭とする管理職であります。
新しい世界に飛び込む者、それを受け入れる者、どちらも初心に返って仕事に取り組む、初心に返って人と接する。それが4月なのです。
さて、このたび、少なからず人事異動をしました。中には、なぜ、私がこの部署に配属されたのだろうか?こんなはずではなかった、と思っている人がいるかもしれません。
しかし、成すべき仕事と勉強すべき材料は無限です。どの仕事も厳しく、どの仕事も誰かがやらねばならぬものです。
ところで、私は今年度もAKBの3カ条を皆さんに繰り返し、お願いするものです。
A 挨拶 挨拶をしっかりとしていただく
K 感謝 ここで仕事ができることに感謝していただく
B ベストコンディション 体調に気を付けて時間を守る
AKBの3カ条を忘れず、ひとりひとりが、初めて役場に入ってきた日を思い出し、新人になったつもりで仕事に取り組んでいただきたい。
異動のあるなしにかかわらず、町長はじめ、ここに集った方々、すべてが自分の役割を果たし、お互い助け合い、支えあっていけば、おのずと成果が見えてくるはずです。
仲間が必要だ
ドイツの政治家であり文学者であったゲーテは言いました。「仕事をするには仲間が必要だ。仕事をすると仲間が増えてくる。」
ここに集ったひとりひとりが、地域を担っていく、地域を掘り起こしていく仲間なのです。大切なことは仲間として努力を続けていくことです。ひとりひとりが新人になったつもりで町民のために努力を続けていきましょう。皆さんのご理解とご協力をお願いして辞令を交付するものです。
平成28年4月、川内の荒羽賀山に進出を決めた事業者が、只今、小ねぎを全国に向けて出荷中。
西日本では、小ねぎをふんだんに使った料理を食べることが、当たり前。小ねぎ文化が、まさに「根づいて」いるのです。
その西日本で、トップクラスの生産量を誇る会社が、東北に農地を求めている、と聞いたのが4年前。私はすぐに広島にある営農地を訪問。広大なハウスや関連する商品を、そして、パワフルな経営者の姿を目の当たりにしました
以来、東日本にも小ねぎをはじめとする水耕栽培で事業拡大を図ろうとする事業者と、企業誘致を目指す川崎町が意見交換を継続。課題は山積しつつも、地権者の方々のご理解と荒羽賀地区の皆様のご協力をいただき、現在に至っております。
あらためて、事業は始まったばかり。水耕栽培を25年前から手がけている社長さんは広島に留まり、川崎町の営農地は、若い息子さんが陣頭指揮。これから地域に根差していくために大切なことは、働き手の確保。仕事は野菜の収穫、選別、出荷作業など。関心のある方は、気軽にお問い合わせくださいとのことです。
▲ずら~っと並んだ小ねぎの苗たち | ▲樹齢?百年の山桜と蔵王がくっきり見えます |
▲とてつもなく大きなハウスが3棟 いきとどいた暖房で雪もすぐに解けるとのこと | ▲桜の根元には山の神、明治時代に村人が山仕事の安全を願って建立したもの。社長さんも大切にしています |
▲50日もたつと収穫 見事な手さばき 見とれていますが・・・ | ▲不器用な町長が挑戦 |
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▲沖縄出身の照屋さん「ハイサイ」と一言 「こんにちわ」の意味 | |
▲小ねぎの根を切っているところ リズミカルな仕事ぶりです | |
▲ チョコえもんのパッケージで登場した小ねぎ。色合いもスタイルも風味もバツグン! | ▲根が切られすっきり |
▲ 農業の世界に参入して34年。業界で屈指の経営者となった出で来き 社長さん。 「ねぎの味はどうですか?」「もちろん上でき」 | ▲蔵王の麓 まさしく蔵王ブランド |
時事通信社が発行している「地方行政」は自治体幹部、中央省庁や政党、民間企業、研究者など関係者必読のもの。現場で奮闘するリーダーたちの声を誌面に、と依頼されたものです。
1601年、関ヶ原の戦いの翌年の正月、35歳の伊達政宗は仙台築城に着手。4月入城。領国の末永い繁栄を願って政宗はこの歌を詠んだ。百万都市仙台の始まりである。以後、彼は仙台の街づくりにまい進してゆくが、時折、青根の地を訪れている。政宗は青根の湯で戦の傷を癒しながら仙台藩の領国経営を練っていたのであろう。入城から12年後、遣欧使節として170人を束ね月ノ浦から出航したのは、青根の麓で成長した支倉常長であった。
町民の皆さん、新しい年が始まりました。とうとうと時は流れていきます。伊達政宗公や支倉常長が活躍してから400年。いつの時代も人々は夢をもち希望をもって努力を続けます。そして、いつの時代も人々には試練があります。だからこそ、私たちは皆様から与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に臨んでまいります。
日が昇ります。季節がめぐり、やるべきことは多く、子どもたちは育っていきます。先人たちが凍てつく流れに挑んだように、私たちも夢をもち希望をもって、まなじりを上げて歩んでいきましょう。次の世代にバトンをしっかりと渡すために。それが、私たちの務めなのですから…。
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