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前へ前へ!そして、次代へパス!
one for all,all for one 一人はみんなのために、みんなは一人のために!!
この秋の台風や豪雨は、日本各地に甚大な被害をもたらしました。そのような中、ラグビーW杯が全国的な盛り上がりを見せながら閉幕。
私も高校時代はラグビー部。仲間たちと暗くなるまで、どろんこになって走り回っていました。
ラグビーを象徴する言葉に
「一人は、みんなのために、みんなは、一人のために」
があります。まず、一人ひとりが自分に与えられた役割をきっちりと果たす。その上で、必要とあらば果敢にタックルに身を挺す。チームの勝利がすべて。お互い助け合い、協力しなければ戦うことはできません。
しかも、激しくぶつかり合う中でも、相手や審判員への敬意を欠かさない姿勢は、昔からこのスポーツをする者に求められてきたものです。
かつての日本代表監督で、3年前53歳で亡くなった平尾誠二氏は、
「世界の強豪と比較すると、日本選手は全ポジションで少しずつ劣る。その少しずつの差が、チームになった時に大きな差になってしまう」
と言いました。確かに、一人ひとりが強くならなければ、チームの力が向上することはありえません。
「ONE TEAM」 ワン・チームを旗印に、日本代表は一人ひとりがレベルアップし、満身創痍で戦い続けました。その姿は、多くの国民に大きな希望を与えました。台風被害に苦しむ人々や、逆境にある人も困難に立ち向かう勇気をもらったのではないでしょうか。
▲17歳、宮城高専時代、ラグビー部で活動する
ところで、10月末の区長会議で多くの区長さんから台風19号接近の際、避難所の開設、現場の確認など、役場職員の対応が親切で、とても有難かったとの発言がございました。
私は災害復旧支援のため、幾度も職員を現場に最前線に派遣してきました。今回も。
困っている人々の役に立つことは勿論ですが、見ず知らずの土地で、知らない人々と苦楽を共にすることが、いかに勉強になり自分自身を鍛えることか。
「かわいい子には、旅をさせろ」昔の人は言いました。職員も、どんどん鍛えられています。
「一人は、みんなのために、みんなは、一人のために」
前へ前へ。そして、後に続く者たちに確実に、しっかりとパスを!
8月の川崎町長選挙で再選を果たした小山修作町長が、9月30日開会の町議会定例会で
所信表明を行いました。
私は、この地に生まれ、この地に育ち、そしてこの地に暮らす人々が、将来に向かって、夢と希望を持ち、豊かな生活が送れるよう、町政運営に誠心誠意を持って取り組んでいく所存であります。
そして、引き続き「みんなが主役のまちづくり」という基本姿勢を念頭に置き、町政運営を進めて参ります。
当然ながら、まちづくりは、町民のために行うものであり、将来にわたって安定・充実した行政サービスを提供していくことが、町長としての務めだと考えております。
私は、これまで多くの町民と接し、日頃どのような事を考えておられるのか、何を求めているのか伺うことができました。町民の方々が必要としていること、その民意を反映させることが町政の基本であります。
これからも町民目線、町民感覚という事を忘れず町政運営にあたって参ります。
次に町政運営の基本方針として、次の3点を掲げたところであります。
まず一点目は、「むり、むだ、むら」を省いた町政運営であります。
町の財政状況は、自主財源の割合が少なく、地方交付税などの依存財源に頼らざるを得ない状況にあります。そして、国の財政事情における地方交付税や国庫補助金が減額される傾向にあり、自主財源の確保にも限界が感じられるところです。
そのため、限りある財源を有効かつ効率的に活用し、歳入に見合った財政運営を行い、健全財政の維持に努めて参ります。
財政を安定化させるための第一歩は、「むり、むだ、むら」を無くすことです。そのためには、限られた人材と財源を有効に活用していくことが必要であり、そして、それが求められていると考えております。
二点目は、「公平・公正でクリーンな町政運営」であります。
まちづくりには、町民の皆様の理解と協力が不可欠であり、そのためには開かれた町政運営を行っていくことが、とても重要であります。
特に広報紙やホームページなどは、町民の皆様が情報収集しやすいものでございますので、その内容をより充実させ、行政情報の提供に努めて参ります。
今後とも積極的に情報提供を行い、利権やしがらみのない公平で公正な町政運営を行って参ります。
三点目は、「町民との協働による町政運営」であります。
先人たちが、多くの困難を乗り切り、まちづくりを引き継いできました。我々も、子どもたちや孫たちが、誇りに想うまちづくりを進めていかなければなりません。
そのためには、主役である町民の皆様と、引き続き意見交換をする必要があります。
私はこれまで、常に「現場が第一」と考えて参りました。これからも「みんなが主役のまちづくり」を進めて行くにあたり、まちづくり懇談会等をはじめとした町民の皆様との意見交換の場を積極的に設け、頂戴したご意見等を謙虚に、まちづくりに反映させたいと考えております。
なお、まちづくりは、行政だけで成しえるものではございません。様々な機関や各種団体のご協力があってこそ、推し進められるものだと認識しております。これまで以上に情報を共有し、「オールかわさき」体制で対応して参ります。
次にこれからも、子どもたちが、孫たちが、次の世代が、希望と美徳とともに歩んでいけるよう、主な施策として、次の施策を講じて参りたいと考えております。
川崎町の産業振興や観光拠点、さらには、災害支援活動の場となる「道の駅」の整備につきまして、任期中である令和5年(参考:2023年)4月、新たなにぎわいの核となる施設の開設を目指して取り組んで参ります。
さて、川崎町には国営みちのく杜の湖畔公園という大きな強みがございます。この強みを最大限に発揮できる施設、そして「川崎町らしさ」をアピールできる施設、さらには様々な好影響を生み出せる施設となるよう、町民の皆様だけでなく、川崎町を愛する多くの方々のご協力を賜り、「オールかわさき」を具現化して取り組んだシンボルにしたいと考えております。
町民皆様の自信や誇りを醸成し、これからも引き継がれる「まちづくり」にまで好影響をもたらすよう、改めて強い決意を持って取り組んで参ります。
これまでどおり人口減少を少しでも緩やかにするという決意を持って、様々な施策を実行して参ります。
常に大所高所からものを見ながら、事業の方向性等に誤りがないかということを意識するとともに、時には大きな方向転換も辞さない覚悟を持って対応したいと考えております。
そして、もともとの町民、移住してきた新たな住民、さらには川崎町の三方良しの関係性を構築し、誰もが良かったと実感できる政策を実行して参ります。
情報の発信は、災害時は言うまでもなく、平常時においても極めて重要であると認識しております。同時に非常に重要であるからこそ難しさも痛感しております。
町民の皆様が欲しい・必要であろう情報に関し時機を逃すことなく、そして誰もが簡単に理解できる表現をする必要性を感じているため、「広報かわさき」をはじめ各種パンフレットにいたるまで、就任以来、自らが編集会議を開催し発行しております。
引き続き情報発信の重要性・必要性を認識しながら、IT時代に即したSNS等も積極的に活用して参ります。
また、川崎町を町内外にPRするには、広報紙等の発行だけではないとも考えております。例えば、他の地方自治体ではあまり例を見ない廃校の同時活用や「川崎レイクサイドマラソン」の開催等、様々なコンテンツを活用しながら川崎町の元気な姿を発信して参ります。
これまで同様、今ある企業を大事にさせていただく方針は変わりありません。代表者の方々と意見交換を重ね、柔軟な考え方を持って政策に反映させたいと考えております。
また、新たに進出したい企業に対してもこれまで同様、私自らが企業訪問を行う等、地道な活動を続けて参ります。企業誘致を進めるにあたっては、社会の変化や企業動向のトレンド等を敏感に捉えるとともに、良好な関係性を維持している宮城県と常に情報交換を行いながら対応して参ります。
なお、町外より新たな企業を誘致するだけでなく、川崎町民や移住をして創業したいという人たちの希望に応じられるよう、「SPRING」において引き続きビジネススクールをはじめとした創業するための手立てを講じたいと考えております。
平成27年3月に策定した「かわさきまち子ども・子育てプラン」が来年3月に計画終期を迎えることから、現在第2期の新たなプランを策定中であります。小中学校だけでなく、こども園や児童教室、子育て支援センターなどの良質な保育・教育環境を継続的に提供するとともに、妊娠期からの切れ目のない支援を行う川崎版子育て世代包括支援センターの設置に取り組みます。
また、これまで町独自で実施してきた健やか誕生祝い金、満1歳までの乳幼児応援助成券、18歳までの子ども医療費助成、インフルエンザ予防接種費用助成、児童生徒2人目からの学校給食費無償化、第3子からの小学校入学祝い金支給など、子育て家庭への経済的な負担軽減を図るほか、子ども自身の健やかな育ちを支援するための様々な取り組みを進めて参ります。
生産人口の減少と高齢人口の増加がますます進む中で、元気な高齢者の社会参加と生き甲斐づくりを支援するため、念願であった一般社団法人川崎町シルバー人材センターを本年2月15日に設立し、4月から本格的に業務をスタートしています。
設立当初の会員は63人でしたが、センター稼働による町民の認知が高まり、現在は103人にまで拡大しています。また、受託した業務は79件で、就業延人数は912人、受託金額は511万円と順調に伸びています。当初計画した見込みを上回る状況で、今年度から県の補助要件をクリアできそうです。
来年4月からは、民間企業などから引き合いの多い派遣事業にも対応できるよう準備を進めているところであり、業務拡張に伴う会員の増強、年間稼働日数や契約金額の大幅な増加など、会員の出番を増やすことでセンターの機能を更に向上して参ります。
町としても、早い時期に国の補助要件を満たすセンターとなれるよう、今後とも積極的に関わりを持ちながらに運営を支援して参ります。
「健康かわさき21計画」の取り組みを継続的に実践して参ります。
乳幼児期の健診事業や予防接種、学童期の学校保健、成人期の住民健診やがん検診、高齢期の介護予防や認知症予防対策など、各ライフステージに応じた保健事業を展開しながら、こころの健康や食育の推進にも努めます。
特に、生活習慣病が腎臓病や脳疾患、心臓病や糖尿病などの重大疾病につながることから、特定健診やがん検診の受診率向上を目指すとともに、検診結果を迅速に医療機関につなぐことや、生活習慣の改善で発症を抑止するための特定保健指導を更に強化します。
町民一人ひとりが自分の健康に関心を持ち、積極的に健康づくりに取り組めるよう更なる保健事業の充実を図って参ります。
また、団塊の世代が後期高齢者医療に移行する時期を迎えます。重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを生涯続けられるよう、医療・介護・住まい・予防・生活支援を一体的に提供する地域包括ケアシステムの実現を目指します。
さらに、社会的弱者である子どもや障がい者、生活困窮者にも細やかな配慮が必要なことから、この町に生まれ、暮らし、安らかに人生を終える時に、幸せだったと思える、この町に相応しい幅の広い福祉サービスの提供体制を整えて参ります。
現在、川崎病院では「地域医療連携業務」を経営改善の柱と位置付け、積極的に町外からの患者数の確保に取り組んでおり、結果として、これまで70%台だった病床利用率が80%台までに上昇しているところであります。
医師や看護師不足を背景とした地域医療体制の崩壊が叫ばれる中、今後も住民が安心して暮らしていくための基盤である医療サービスについては、これからも、より身近で信頼できるものとしていくため、経営の改善、安定化はもとより、改めて、訪問診療や地域医療連携業務をより充実させていくなど、住民が求める医療サービスを今後もより積極的に展開し、地域医療の拠点としての役割を職員が一丸となって果たして参ります。
以上、所信の一端を申し述べましたが、より良い「まちづくり」のため、誠心誠意努力して参ります。
「初心忘れるべからず」、私は、8年前の初当選の際にも申し上げました。
未来への道のりは決して平坦なものではないだろうと。
けれど、先人達が多くの困難を乗り越え、まちづくりをしてきたように私たちも知恵を出し、夢を語りつつ「坂本龍馬」のような「新しさと改革を求める姿勢」、そして「上杉鷹山」のように「質素倹約」を旨とした行政改革を心がけて、暮らしやすい郷土を築き上げてゆきたいものです。
そのためにも議員の皆様をはじめ、町民の皆様の英知と情熱を結集し、まちづくりへのご支援とご協力をいただきますよう切にお願い申し上げ、私の所信表明といたします。
川崎町のマラソン大会、多くの人々に走っていただきました。多くの人々に手伝っていただきました。
晴れわたった空の下、雲と風と仲間と走った人々。その人々を爽やかな笑顔で迎え、支えてくれた人々。
最も遠くからの出場者は、山口県から…。最も高齢の方は、84歳。1600人が走り、700人が大会を支えたのです。
マラソン大会、大成功でした。この大会を開催するにあたり、ご協力をいただいた、すべての人々に、大会会長として、川崎町長として、心より感謝と御礼を申し上げます。
「映画というのは、実は力のある脇役が、主役なんだよ。」小津安二郎(映画監督)
マラソン大会も同じ。主役は走る人。けれど、力のある脇役、スタッフがいなければ、町民の支援がなければ、成功にはおよびもつきません。
遠来者、最高齢者には、町長直筆の感謝状が…。
3km完走後、会場を巡回する町長。
小山町長就任演説 職員に結束を語りかける
▲多くの町民と職員を前に、就任の演説をする小山町長。学生時代から愛用の細いネクタイ。現在は青いネクタイ青ネ、青根がトレードマーク。スーツは、濃紺のブルックス・ブラザーズ。大切に大切に手直しをして着ています。 8月28日 午前9時ころ 役場内議場にて
みなさん、おはようございます。
8月4日の町長選挙で3選を果たさせていただいた小山修作です。
本日、私は、私たちの目の前にある仕事に、心から謙虚な気持ちで向き合い、町民のみなさんから託された信頼に感謝し、先人たちが行ってきた営みに思いをはせながら、ここに立っています。
思えば、これまで多くの先輩たちが町づくりの先頭に立ちました。
貧しさゆえに、子どもたちに食べ物や教育の場を与えられなかったり、年老いた人々に十分な医療を提供できなかった時代もありました。
しかし、どのようなときも、この町が存続できたのは、指導者の存在や力量だけでなく、ここに住む人々の努力と忍耐があったからなのです。
そしてなにより、この役所に集うみなさんや、みなさんの先輩方のご尽力があったからなのです。
私は、8年前、この場所で、ここから申し上げました。初当選の翌日、初登庁の就任演説です。
今から1400年前、日本で初めての憲法が制定されました。古代日本の開明的知識人であり、希有な理想主義をもつ政治家、聖徳太子の17条憲法。17条のうち5ヶ条は、役人のあり方についてのものでした。
第 4 条。役人は、礼儀をきちんとつくすように。
第 8 条。役人は、仕事を怠けてはいけない。朝早くから勤めなさい。
第12条。役人は、人民のひとりにすぎない。いばってはいけない。
第13条。役人は、お互いの仕事について理解しあうこと。
第14条。役人は、ほかの人が偉くなるのを、ねたまないように。
17条の憲法は、町長、議員、役人いや、すべての人々の生き方の指針となるべきものでありましょう。
さて、今回の町長選挙、二人が立候補いたしました。二人とも町長を経験し、この町を愛し、この町を思い、この町に住む人々を大切に思っています。だからこそ、信念をもって戦うことになるのです。
戦いは終りました。勝者も敗者もありません。今日が、始まりです。どこを見ても、取り組まなくてはならないことがあります。
ドイツの政治家であり文学者であったゲーテは、こう言いました。
仕事をするには仲間が必要だ。 仕事をすると仲間が増えてくる。
私たちは、この町に集い、この町に営み、この町に働く仲間です。
これからも、子どもたちが、孫たちが、次の世代が、希望と美徳とともに歩んでいけるよう、多くの先人たちが、凍てつく流れにいどみ、困難を耐えしのんだように、お互い、仲間として協力しあい、支えあっていこうではありませんか。
ここには、人材と機材と予算と、みなさんの誠意があるのです。
これまでの町づくりへの御尽力に町民を代表して感謝申し上げます。
これからの道も険しいものでありましょう。しかし、ここに集ったひとりひとりが、初心に返って努力していきましょう。町づくりは、私たちの双肩に懸かっています。
▲8人目はエイトマンならぬ超能力をもつ?エイトウーマン。美貌とパワーが全開です。
▲一日町長体験には、県内のテレビ局も注目。この日も3社が取材に来庁。6月14日午前9時30分、議場にて。
川崎町ふるさと納税30万の返礼品一日町長体験が注目されています。
8人目は、?歳の藤ふじ原はら聖せい蘭ら さん。埼玉県所沢市で婚活やデート用のブランドワンピースをレンタルする会社を25歳で設立。順調に業績を伸ばした京都大卒の才女。
「事業を継続するには、お客様に満足してもらうこと。利益を得ることの2つが必要。役所も住民に満足していただくサービス業の時代。住民に満足してもらう接遇が必要。そして、役所にとって利益を得るとは住民に税金を納めてもらうこと。そのためにも役所は、しっかり町づくりを進め、情報を流すこと。町長就任に備えて川崎町の1年分の広報を見ました。町長さんのコーナーが、とても面白く分かりやすい。町長さんが、工夫されていますから、広報全体が読みやすく、写真も良く選んでいるようで、すばらしいです。」
一日町長の訓示に、職員は接遇の大切さと納税していただくために何をすべきかを問われたようです。
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三好院長はクリニックを経営しながら、3443(ミヨシサン)通信という病院 報を発行しています。 |
内容は、旅行記、研修報告、投書箱など 盛りだくさん。一日町長の記事も7月号 に掲載されました。 |
七人目の侍は、ドクターミヨシ!
5月30日、7人目の町長に就任したのは、仙台市泉区で有名な三好耳鼻咽喉科クリニックを経営しているドクターミヨシこと三み よ好し 彰あきら院長。院長は、丸森町出身で宮城2区選出の衆議院議員、秋葉賢也氏の後援会長。
宮城県の医療と政治の分野で厳然たる地位をもつ一日町長は、
「秋葉賢也後援会を通じて多くの市町村長を知ってはいるが、バイタリティ溢れる小山町長の仕事ぶりを是非一度、見てみたいと思った事が今回の応募のきっかけ。また、私の祖母の家系が、支倉常長の一族と親戚であったことが、最近になって判明。常長さんのお墓参りも兼ねて訪町となりました。」と訓示、さらに
「かつて、村田町出身のオリンピック金メダリスト、三宅義信選手はバーベルを持ち上げる時、体育館の天井に向かって持ち上げるのではなく、天井の向こうにある青空に向かって持ち上げたのです。そのような気構えを持ちましょう。」と力説。
ドクターミヨシは、七人目の侍であり、ロマンチストなのっしゃ。
去年、日本で生まれた赤ちゃんの数は約92万人。統計がある120年間で最も少ない数です。日本全国で少子化と人口減少が続く中、仙南2市7町の人口の動向を見ると上の表のようになります。川崎町の減少率は1.2%で9市町の中で、7番目に位置しています。これからも、しっかりと町づくりを進めます。
受次て国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母 |
250年前、上杉鷹山が 17才で米沢藩主となった 時に詠んだ歌。指導者の 慈愛と責任が見てとれる。 |
財政難にあえいでいた米沢藩を立て直すために、上杉鷹山(ようざん)公は、まず藩主である自分自身の年間経費を7分の1に削減しました。
私が町長に就任したころ、町長交際費は、かなり高額なものでした。年間、約150人が亡くなり、その香典と線香セット(合計で5千円)を届けていたために、他市町と比べ、それだけで多額になっていたのです。私は、公用車と税金を使って、町民のみなさまに、香典や線香セットを届けることをやめさせていただきました。
すべての町民の方々の死を悼むことは大切です。しかし、慶弔費につきましては、他の市町との整合性も重視せねばなりません。
何をやめ、何をすべきか。指導者は、そのことを常に考えていかねばならないと思っております。
平成最後のアラバキに愛をこめて
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爽やかな青空の下、爽やかな笑顔の川崎中学校吹奏楽部。若々しいサウンドが青空にぴったり。 |
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今回、初登場のジェラートモナカ。なかなかのものなのか? | チョコえもん大好き~! パパよりチョコっとね。 | 玉こん。たまに食べたくなります。 からしつけ放題。たまりません。 |
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永遠の若大将と 今年も逢えました。 | 名物けんちんそば。具もたっぷり はいって身も心も、グッ。 | 牛串は、もう完売。焼き鳥はどうですか~ 飛び切りの味ですよ。 |
いやぁ~、今年のアラバキ、物凄い人でした。4月27、28日の2日間で5万8000人が来場、過去最高の人出。加えて、出演者、スタッフ、出店者などで「みちのく公園」は人々の歓声であふれました。 特に、9店舗の川崎町のブースは大人気。完売して追加の搬入をする店も多く、まさに店・手古舞?
ところで、会場周辺の駐車場もかなり増えたようです。アラバキが川崎町に舞台を移して14年。当初は騒音の苦情が多く、対応に苦慮しましたが、今年は1件のクレームもなく、地元の御理解、御協力に感謝するとともに、駐車場の整備などで来場者を温かく迎えて下さることに心より御礼を申し上げます。
これまで5回、アラバキに出演されている加山雄三さんは言います。「イベントを受け入れてくれてありがとう。これからもよろしく、と皆さんに伝えてください」「若大将に礼を言われて、僕はしあわせだなぁ。僕は死ぬまで、アラバキを受け入れるぞ。いいだろう」82才の若大将が大爆笑でした。
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すべて三菱の機種を使用、これは天つり型。5月9日午後1時頃 川崎小 |
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川崎小にはテラスがないのでマルチ型の屋外機。これが垂直に1階から3階までの教室を賄うことになる。 |
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天窓と横窓からの光が室温を上昇させていた富岡小2階の教室 | |
県内の市町村に先駆けて
昨年の夏は記録的な暑さ、全国で熱中症の死者が150人以上。約9万人が病院へ搬送されました。
川崎町では県内35の市町村の中でいち早く、小中学校へのエアコンの設置を決定し事業に着手しました。
そして、この度、町内6つの小中学校の59の普通教室にエアコンが設置されました。総事業費は約1億3000万円。そのうち、国からの助成は約6200万円。どの市町村も財政は厳しいものがありますが、子どもたちが安全に学校生活を送れるよう、この事業の着手を決断したところです。
かつて、アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディは言いました。「子どもたちは、世界でもっとも価値ある財産であり、未来への希望の星だ」と。
改めて、この事業を推進した議会をはじめ、すべての関係者の方々に感謝と御礼を申し上げます。
夏に間に合いました。ホッとしております。外は、まばゆい新緑。
いよっ 待ってました
みんなで「ハッピーオボコンベ」楽しみましょう!
左に、三つの山が連なる三森山。そのとなり中央にちょこりんと突き出ているのが、登山愛好者から「宮城のマッターホルン」と呼ばれている岩山「オボコンベ山」。本砂金地区のシンボル。
標高595m。とんがった岩山で、子どもをおんぶしているように見えることから名がついた。アイヌ語との説もあり。仙台市の太白山よりも急斜面をもち山頂からの眺めは、こでらんねぇ~。
「かわさき空中食堂 ハッピーオボコンベ」 仙南2市7町の小学4~6年生で構成された劇団、AZ9(アズナイン)ジュニア・アクターズが、オボコンベ山をモチーフにした歌、ダンス、劇を披露。2月10、11日の2日間で1200人を大河原町のえずこホールに集客。子どもたちの笑顔とエネルギーがステージ一杯にはじけ会場はハッピーと夢で満ちあふれました。児童劇団の公演は26回目。出演者は昨年11月から練習に励んだそうです。
興味のある方は、仙南地域広域行政事務組合の教育委員会へ。 TEL0224-52-3433
さて、多くの人々を魅了した児童劇団の歌と踊りを、川崎町で楽しめることになりました。6月2日に開催される第26回支倉常長まつりに特別出演が決定。期待して下さい。
「私たちのハッピーって、外からやってくるもんじゃない。
(胸を叩いて)ここから生まれるんだって」
「そして(足をならして)ここから生み出すしかないんだって!」
全員で足を打ちならし歌いだす
♪ ハッピーは、とおくからやってくるんじゃない
ハッピーは、ここで生まれる
ハッピーは、ココで生まれる
―「ハッピーオボコンベ」より―
座長の一條結実ちゃんと公演を終えてニッコリ
▲裏丁地区住民懇談会の様子。平成30年8月27日 午後8時ころ
去る1月30日、河北新報で報道されました件につきましては、掲載にあるとおりでございます。
改めて、皆様に、私の軽率な行動について、心より謝罪申し上げるものです。
ただ、限られた新聞の誌面での表現ですから、付け加えさせていただきますと、当日の懇談会で、私は最初に、挨拶でワインをご馳走になったことを、自分から町民の皆様にお詫びし、そのいきさつを説明し、最後にまた、お詫び申し上げました。
その後、懇談会は私が進行を務め、町の現状を説明。その都度、質問や意見をいただき回答をいたしました。のべ12名の皆さんから発言を頂戴し、回答を終了した午後9時に閉会としたものです。
このように懇談会は混乱なく終了、20名の参加者からは、11月24日の「議会と町民との意見交換会」まで、懇談会の進行、ワインをいただいたことへの苦情がなかった次第です。
ところで、21年前、(株)東北中谷様の沼田月夫氏が死去。2年後、会社は倒産、多くの人が苦労しました。
現在、(株)ライフフーズ様の従業員は330名、町で一番の規模。人々の大切な雇用の場であることは、勿論、法人税や固定資産税などの税額は、3300万円。さらに、この度の寮の完成で250万円がプラス。
地元の企業の命運が、地域の存亡に関わることを、内外のニュースが毎日のように報道しております。
その企業の一番の問題が働き手の確保。ベトナムからの研修生は、現在、46名。今後、半年に15名ずつ受け入れるそうです。この国は、これから外国の人々を受け入れねば、交流していかねば、存続していくことができません。川崎町も同様です。
私は、2年前から、ライフフーズ様の外国人研修生の寮の建設に関わり奔走してきました。
日本に来る彼女たちも必死です。
「一生懸命働いて、お金を送りたいのです。頑張ります。よろしく。」覚えたばかりの日本語で、一生懸命な笑顔で、ジュースやワインを私たちのコップに注いでくれたのです。
皆さん、彼女たちをよろしく。
昨年8月、小山修作川崎町長が飲酒後、町内であった町民参加のまちづくり懇談会に出席したとして、町民有志でつくる団体「川崎町を再起させる会」が29日、小山町長宛てに公開質問状を提出した。小山町長は事実を認め、陳謝している。
団体の佐口健二代表が町役場を訪れ、佐藤孝行副町長に質問状を渡した。質問状は「町民に説明、謝罪する考えはあるか」「自らをどう処すのか」など5点を問い、回答を求めている。
関係者によると、懇談会は昨年8月27日夜、町内の裏丁コミュニティーセンターであった。町民約20人が参加し、
町長は誘致企業の外国人労働者用の寮の落成式でワインを4回程度つがれ、飲んだ後に懇談会に出席したという。
「町長は酔った表情やしぐさをしていた」と話す住民もいるが、開催中に大きな問題はなかったという。
小山町長は取材に「(外国人労働者から)『一生懸命働いて母国にお金を送りたい』と酒をつがれ、胸を打たれて断れなかった。軽率な行動で申し訳ない」と謝罪した。
(河北新報「川崎町長 飲酒後に住民懇談会 町民団体の質問状に謝罪」平成31年1月30日付朝刊)
川崎っ子の筆づかいに高い評価!
▲平成14年、ポイントを説明する中川先生 なつかしいですね
▲熱心に先生方の話を聞く子どもたち
会場はB&Gの体育館 寒さなんて気にしない 平成17年
▲『徳育』 村上とき子先生の書 前川小の校長室にあります
▲記念パーティーを企画・運営したメンバー。めちゃいい顔してる。はんぱないって!!
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はたちのころ、誰もが輝いている。 左 はたちの小山町長 昼は土木工事で働き、夜は大学で勉強の日々 |
多くの経営者や学者、ビジネスマンから「経営学の父」といわれ尊敬されているドラッカーは言います。
「最初に出会う仕事は、くじ引きのようなものだ。当たるか、はずれるか、分からない。最初から適した仕事に就ける人は少ない。若い人が魅力的だと感じる業界や企業を探し仕事に就いたとしても、本当に自分に適した仕事ができるかどうかは、実際にやってみなければ分からない。とにかく仕事に就くことで、多くのことを学び経験しながら自分を高めていくしかない。」
ところで、毎年、町職員の採用試験があります。受験資格は35歳まで。他の市町村はおおむね29歳。
なぜか?
私たちは、この町で育ちこの町を離れた人たちにも戻ってきてほしいのです。誰もが戻ってこられる町づくりをも目指しています。
川崎町の子育て支援策は県内の市町村でトップクラスです。豊かな自然の中にあって仙台市中心部まで車で40分。仙台は通勤圏。町内で農業を、事業を、通勤をしながら子育てをしようとする若い人たちが移住してきております。
確かにこの国は全国各地、少子化で学校の統廃合が相次いでいます。支倉、川内、本砂金、青根の学校も皆さんが卒業した翌年、その歴史に幕を閉じざるをえませんでした。しかし、現在、施設は利活用され、多くの人々を受け入れています。皆さんを育んだ校舎は、人々を集め、人々が働き、人々が出会う場所となりました。私たちの町は様々な可能性を持っています。私たちが生まれ育った町も、皆さんと同じように成長していくことができるのです。
そのためには皆さんの若いエネルギーが必要です。この町で生きていく人、この町を離れる人、様々でありましょうが、この町は、これからも、皆さんを育み、皆さんを受け入れ、皆さんとかかわりを持とうとしています。これから社会を担っていくのは皆さんです。
どんなことにも挑戦してください。そして、その挑戦は、どこにいってもできるのです。この町にあってもできるということです。
新しい年が始まりました。
昨年を振り返りますと、日本各地で災害が発生。豪雨、台風、地震。そして、危険な暑さも災害となりました。
川崎町では、県内の市町村で、いち早く、小中学校にエアコンを設置すべく決断をし、事業を進めているところです。
東日本大震災から、まもなく8年・・・。
あらためて自然災害の脅威を感じると共に、有事の際の心構えを新たにしております。
これまで、多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。繁栄のときもあれば、暗雲の立ち込めるときも・・・。
しかし、どのようなときでも、この町が持ちこたえられたのは、指導者の見識や力量だけでなく、人々の努力と忍耐があっ
たからなのです。先輩たちは、苦難をやり過ごしては立ち上がり、気力を振り絞っては、地平線を見据えました。
彼らの価値観は、正直、勤勉、勇気、そして、寛容の中にありました。それは、これからも求められるものでありましょう。
いつの時代も試練があります。
だからこそ、私たちは、皆様から与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に向き合っていかねばなりません。
季節はめぐり、やるべきことは山積しています。
先輩たちが、凍てつく流れに挑んだように、私たちも地平線を見据えて休むことなく歩いていきましょう。
次の世代にバトンをしっかり渡すために。
それが私たちの務めなのですから・・・。
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