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過去のあいさつ(令和2年)

印刷ページ表示 更新日:2019年7月2日更新

12月

コロナ禍に必要なのは、信頼と協力と団結。

私たちは新型コロナウイルス感染症に対応するため、1次・2次併せて3億9300万円で46の政策を実施していますが、多くの人々のご支援とご尽力の上に町があること、忘れてはおりません。
あ例えば次の河北新報。2月末突然の首相の休校宣言を受け、当町が県内でいち早く放課後児童クラブでの預かりを開始したところ、前川東部の大宮富雄様の玉こんにゃくに始まり、様々な差し入れが届けられました。
あまた、品薄で手に入りにくいマスクや消毒液等も皆様から寄贈いただいておりますこと、町民を代表して心より感謝と御礼を申し上げます。

(河北新報社提供 令和2年9月16日(水曜日)より)

「愛する人を守るためマスク、手洗いそしてインフルエンザの予防接種」

 

川崎病院・内山院長の注射、腕におぼえあり!
コロナウイルスとインフルエンザの判別はとても難儀。医療現場の負担を軽くするためにも予防接種を。川崎町民は15歳まで無料、16歳以上は1,000円の負担で受けられます。ちなみに、65歳以上に助成する制度はどの市町村にもありましたが、16歳から64歳までのすべての町民が1,000円で受けられるのは川崎町だけです。

最も危惧されていること

10月29日、コロナ感染者が累計で10万人を超えました。11月には北海道で三みたび度厳戒体制がとられていますが、今、最も危惧されていることは、診察で判別が困難なコロナとインフルエンザの同時流行です。
町は早くからこの点に着目し、町民すべてに少ない負担でインフルエンザの予防接種を受けていただけるよう準備してまいりました。
もとより、65歳以上に助成する制度は、どの市町村にもありましたが、コロナ対策と位置づけ、生後6カ月から15歳は無料、16歳から64歳も1000円の負担で接種できるものです。

基本の感染予防策を

コロナ対策で手指消毒やマスク着用が習慣になっていますが、コロナに有効な予防接種や治療薬がない現在、インフルエンザにならないことを含め、基本の感染予防策にしっかり取り組んでいくしかありません。
何より徹底してほしいのは、具合の悪いときは外出しないこと。人がいる場ではマスクを外さないようにしてほしいこと。それが社会を守ることにつながる。これからの冬は感染拡大を防ぐため乗り越えなければならない正念場になります。

みんなが疲弊して

緊急事態宣言が解除されて、6カ月ですが、どんな立場の人であっても、もれなく精神的に疲弊しています。これまで通りに商売が続けられない人たちもたくさん出ている。収入がどのように減るのか、見通しが立たずに不安に駆られている人も多い。特に、全国的に40歳未満の女性の自殺者が増加しています。
女性の5割強は非正規雇用でコロナ禍による勤務時間の削減、休業、失業の打撃を受けているようです。

信頼と協力と団結

改めて、コロナを乗り越えるために必要な最善の手段は、遮断や隔離ではなく「信頼」に基づく協力と情報共有ではないでしょうか。
真の安全確保は、信頼のおける化学的情報の共有と、広い意味での団結によって達成されると思うのです。
そして、行政は万能ではないことも忘れてはならない。私たちにできることは、町民の皆様の苦労を忘れてはならないこと。勇気と謙虚さを忘れないこと。コロナ禍の年を共に乗り越えられることを願って…。

11月

 全国町村会(743町・183村)が発行する広報誌に小山町長の随想が掲載。現場で奮闘する町長の声を誌面に、と依頼されたもの。が、逆に多くの方々から「エール」をいただくことに。

(画像または こちら をクリックすると大きく表示されます。)

10月

286号バイパス、現地視察!


​仙台市赤石側から川崎方面を望む。仙台市の担当者(背中)の説明を聞く小山町長。右に郡仙台市長、左に眞壁議長。仙台市と川崎町の関係議員と担当職員が並ぶ。視界の右奥に工事用道路を造成するため削られた山肌が見える。8月17日 午前11時頃​

​左は赤石パーキングとトイレ、その奥に現在の286号。手前の中央(現在位置)で説明を受ける。ここに交差点が新設され、川崎方面に向かって道路が延長。碁石川を渡る1号橋梁が架けられ1号トンネルへと進む。右上奥に施工中の工事用道路。​


▲真ん中の写真で説明した工事用道路の施工状況​


​▲猛暑の中、説明を受ける関係者​

8月17日、国道286号バイパス整備事業の関係者が、現地視察を行いました。仙台市長、市議会、市担当者、川崎町議会、そして、大河原土木事務所長ほか総勢45名が出席。
まず、仙台市赤石にて、仙台市側の工区、全長1・4キロメートルの解説があり、碁石川の北側に工事用道路の整備をしていることや仙台市から川崎町に向かって道路、橋、トンネルと、勾配が行政境まで続くこと、用地買収は4年計画の3年目であることが説明された。
いずれにしても仙台市側の工事は、今のところ286号を通過する車の運転席から見えないので、改めて、皆さんにお知らせします。

その後、支倉台入口に移動。川崎町側の工区、1・3キロメートルについて大河原土木事務所長さんが自ら解説。用地買収は概ね完了したこと、トンネル予定地には国有林が多いこと、今年は、仙南生コン釜房工場様の手前に横断ボックスを敷設して東側の斜面から集まる水を流したこと。さらに用地の測量を進め、来年度は支倉台入口の交差点付近の改良工事に着手したいことなど。
かねてより、この事業の課題は、宮城県と仙台市がそれぞれ役割分担をするところです。今まで以上に仙台市と川崎町ががっちり連携し、県や国に働きかけを続けてまいります。

がっちり連携、しっかり前進‼

国道286号バイパス

左は川崎町、右が仙台市。赤石から3つの橋と2つのトンネルを抜けて支倉台の入口まで、全長2.7kmのバイパス。2号橋は中間点にあり行政の境目でもある。


​横断ボックスを敷設するため、迂回路をつくる(令和2年5月)​


​東側の斜面の水を流す横断ボックス(令和2年6月)​

9月

お待たせしました。

3億522万円!!

イラスト:小山 修作

8月11日、コロナウイルスの国内の感染者が累計で5万人を超えました。感染者が大都市にとどまらず地方都市でも増えており、感染拡大は宮城県でも例外なく続いています。
おりしも、川崎町は総事業費、3億522万円となるコロナ対策の第2弾に着手。国からの助成金2億3,400万円を基に、33の政策を追加。主なものを紹介します。特に大切にしたのは、町内の事業者を支援すること、医療・介護現場の苦労に目を向けること、要介護者・障がい者の家族の負担を軽くすること、そして、子どもたちの生活・学習環境を整えることです。もちろん、これらの政策をしっかりと町民の皆さんに活用していただくため、相談窓口を設置しています。
「わがんねごどあったら、遠慮すねで来てけさい」と。
暑く重苦しい毎日が続きますが、お互い助け合ってコロナの年を乗りきりましょう。

 事業を支えます(1) 予算4,900万円

感染症拡大による営業自粛や売り上げの伸び悩みにある事業者を支援。4~7月のいずれかの月の売り上げが前年比で20%以上減少した事業者、個人事業主さん、次のページを見て相談窓口へ!

事業を支えます(2) 予算 3 ,160万円

町内事業者にマスク・消毒液の購入費用を支給(1,800万円)、キャッシュレス決済導入の事業者に10万円×100件。外国人労働者を抱える事業者に1人当たり3万円×120人を予算化しています。

 要介護者の家族を支援 予算 1,524万円

外出自粛から要介護者の在宅時間が延長、家族の負担は増え収入は減少に。在宅介護世帯240世帯に5万円を支給。また、買い物がしづらくなった障がい者世帯434世帯に感染予防物品を配付(314万円)。

 畜産経営を支援 予算 1,100万円

需要が落ち込み牛肉の相場が下落。また、小中学校の臨時休校などで牛乳の消費が低迷。コロナウイルスの影響で打撃を受けた畜産農家の経営を支援。飼養頭数によって支援金を決定し、上限は100万円。

コロナ?かぜ? 予算 1,320万円

コロナウイルスとインフルエンザの判別はとても難儀。医療現場の負担を軽くすべくインフルエンザを予防。これまで助成のなかった16~64歳の人も自己負担1,000円で予防接種。かぜは万病のもと!

これは町が所有しています 予算 1,787万円

4つの廃校施設、スキー場、じゃっぽの湯、るぽぽの森は、町が所有。運営は事業者に委託していますが、サーマルカメラ(767万円)、空気清浄機(930万円)等を準備して後方支援します。営業よろしく。

赤ちゃんから幼児まで 予算 741万円

国民1人に10万円は4月27日の時点。それ以降に生まれた赤ちゃんには町が10万円を支給(仙台市は5万円)。元気な仲間がいっぱいのこども園と幼稚園には空気清浄機の追加と監視カメラを設置します。

医療・介護の最前線に 予算 700万円

コロナウイルスの感染拡大を防ぎながら働いている医療と介護の関係者。心労が蓄積し、体力を消耗、費用もかさんでいます。病院、老人ホームなど町内にある18の施設を支援します。お世話になっています。

教室の環境をさらに向上 予算 3 ,772万円

小中学校69教室に空気清浄機(2,760万円)を新設。集団感染の予防と環境の向上を図ります。また、古くなったFF式暖房機12台を交換(300万円)。各小学校の児童教室にも安心な空間を(712万円)。

パソコンで勉強しよう 予算 2,153 万円

1人に1台のパソコンを。小学校215台、中学校131台、合計で1,903万円。また、子どもたちが自宅でも学習できるようインターネットの通信環境を提供。モバイルルーター100台(250万円)を確保。

窓を開けて 心を開けて 予算 3 73万円

川崎病院の外来患者さんの待合室、換気を容易にするため網戸を設置し、傷んだ3人掛椅子は1人掛用と交換します。また、健診希望者用の更衣室の換気扇を更新して換気効率をアップさせます。

8月

佐藤孝行副町長が勇退されました

このたび、任期満了により、副町長の職を退任することになりました。
これまでを振り返りますと、私は、昭和50年4月1日に川崎町職員に奉職以来、職員として37年3ヵ月、副町長として8年、通算45年3ヵ月という長い間、皆様方に大変お世話になりました。
副町長に就任した平成24年7月。当時は、東日本大震災の翌年で道路や下水道など、復旧事業の元年でした。かつて経験したことのない大災害の中、副町長という重責を担えるか、大変不安だったことが昨日のように思い出されます。
これまで、小山町政の運営に微力ながら参画させていただきましたが、何の取り柄もなく、非力な私がこうして、大過なく無事に本日を迎えることができましたのも、偏に小山町長はじめ皆様方の温かいご支援、ご協力のおかげです。皆様方とともに過ごした日々は、私にとって何物にも代えがたい一生の宝でございます。

正直申しまして、やっとここまで来たという安堵の気持ちでいっぱいです。
今後は、趣味の農作業に励みながら、町民の一人としてご協力させていただきたいと思っておりますので、変わらぬご厚誼を賜りますようよろしくお願いします。
最後になりますが、小山町長はじめ、職員の皆様方には新型コロナウイルス感染症拡大により、先が見通せない大変厳しい状況ですが、健康にご留意されまして川崎町民のため、ますますご活躍いただきますよう、衷心よりお祈り申し上げまして、退任の挨拶とさせていただきます。大変お世話になりました。


​7月17日 退任式で職員への挨拶 副町長 佐藤 孝行​

ご苦労様でした

佐藤副町長の最大の功績は、税金の徴収率を飛躍的に向上させたことであろう。実は、わが町の徴収率は長い間、県内の市町村で最下位に近いものであったが、彼は自ら対策本部長に就任。担当する職員たちをまとめながら指示を出し、滞納者の自宅へ赴くこともいとわなかった。その結果、昨年度は35の市町村で24位。伸び率は、県内でもトップクラスになったことを報告します。
また、川崎病院の経営に関しても療養ベッドを増やし、通院の難しい患者さんのために訪問診療を実現するなど、町民の皆さんのための政策を推し進めると同時に、赤字額の縮減にもご尽力をいただいた。
ところで、私は思っています。
「役職には任期があり、仕事には締切がある」と。
仕事は締切に間に合わねば、みんなに迷惑をかけてしまうし、役職には任期があり、その任期を全うするために健康に気をつけねばならぬ。
副町長は、この2期8年の間、ご両親を亡くされたとき以外、休みを取ることはほとんどなかった。
加えて、忘れてならないことは、任期中の大部分、給料の20%をカットし、子育て支援に充ててくれたこと。私も8年間、30%身を削ったが、私の志に賛同して働き続けてくれたことに心から感謝し町民を代表して心から御礼を申し上げる。
素晴らしい働きでありました。
これからもよろしく。


​▲町民の声に耳を傾ける副町長(写真中央) 住民懇談会より​

7月

お待たせしました。
数々の政策に着手!!
事業を紹介します。

先月の広報でお知らせしたコロナウイルス対策が決定しました。議会からの要望、職員のアイデア、なにより町民の皆様の声を政策に反映させました。第2弾の対策もしっかり企画します。
ところで、国民に1人10万円を配る事業、川崎町は6月1日で84%の支給率。これは県南4市9町で上から3番目。町では県内でも稀な相談窓口を設置しました。
「わがんねごとあったら、遠慮すねで来てけさい」と。
それが町役場の良いところであり、それを実践している職員をぜひ誉めてください。コロナウイルスへの対応は始まったばかりです。我々は何をすべきか。何ができるのか。しっかり考えて仕事をしてまいります。引き続きのご指導をお願い申し上げます。

 商品券配布 予算3,800万円

町内の全世帯に1万円分の商品券を配布。地元の商店を応援するとともに、各家庭の支援を図ります。商工会との連携です。
みんなで地域を応援しよう。

 空気清浄機設置 予算880万円

こども園や福祉センターに2台ずつ設置。ホールなどの大きな空間でも感染予防対策が可能。子どもたちやお年寄りの健康をしっかり守ってまちづくりを進めます。

 子育て支援 予算820万円

0歳から中学校までの子ども1人に1万円を助成。町内の子ども約800人が対象です。子育て支援は、町民みんなの願い。国からの給付1万円(4月に決定)に加えて町からも助成されます。

 サーマルカメラ購入 予算637万円

コロナウイルスとの長期戦に備えて、体温測定は基本です。精度の高いサーマルカメラを2種類、計23台を購入し、検温の時間を短縮します。体温はどうですか?チェック体温。

事業者の支援 予算600万円

休業に応じてくれた方に対して、お店の事業の継続を支援します。1事業者あたり30万円を支給。このうち3分の2は宮城県が、3分の1は町が負担することになります。

家族で感染者が出たら 予算577万円

感染者が出たら、その家族は町で借りた温泉旅館に入っていただきます。旅館の借り上げ、管理、配食、除菌、クリーニングの経費を計上しています。

病院のそばにユニットハウス 予算390万円

感染が疑われる人とそうでない人を分けて診察するために、屋外にエアコンや空気清浄機のついたハウスを設置。院内感染を防止します。また、6月から面会の基準が変わりました。

幼児の感染予防に 予算368万円

こども園・幼稚園の幼児が給食・保育時に使用するテーブルを1~2人用にし距離を確保。放課後児童教室にはエアコンがないため、冷風機を設置し対応します。

情報発信を強化 予算350万円

コロナウイルス対策も町のホームページで。川崎町のホームページは情報満載、注目度抜群ですが、さらにスマホにも対応できるよう改修します。

宿泊クーポンを発行 予算220万円

町内の宿泊施設で使える割引券5,000円を400枚発行。観光協会とスクラムを組んだ企画。今、国民が一番行きたい所は近ちか場ば の温泉だそうです。わかるような気がします。

公共交通機関を支援 予算150万円

コロナウイルス対策を実施した公共交通事業者に助成金を交付します。地域の人々の足となるバスやタクシーがなくなったら大変です。安全と安心の地域交通を。

6月

歴史は繰り返しながら…
人は激動の時代をのりこえて
100歳おめでとうございます 今年3人目の土屋さんにエールを

土屋マツさん(川内七曲山)

4月25日、100歳の誕生日を迎えられたマツさんを町長が訪問、ご長寿をお祝いしました。
マツさんは裏丁で育ち、18歳の頃に上京しタイピストになりました(写真右)。そして、旦那さんと知り合い、共に満州に渡ります。終戦後、川崎に戻り現在の自宅周辺を開墾。1男5女を育てあげました。
これからも元気にお過ごしください。

​​100年前の感染症

今年は5人のおばあちゃんが満100歳となります。すばらしい。
ところで彼女たちが生まれた当時、人々はスペイン風邪の恐怖におののいていました。世界で4000万人以上が犠牲に。感染したのは主に65歳以下、死亡者の多くが15~35歳。日本でも約40万人が死亡したとか。

感染症との闘い

新型コロナウイルスが世界を席巻していますが、人類の歴史は、感染症との闘いの歴史とも言われます。ペスト、天然痘、コレラ、スペイン風邪。このうち人類が根絶できたのは40年前の天然痘のみ。発生から500年の時間が流れていました。
時代や社会を一変させる感染症、新型コロナウイルスとの闘いは始まったばかりなのかも知れません。

指導者の言葉

ニュージーランドのアーダン首相は「公衆衛生に携わる官僚や専門家は世界でもトップクラスで、医療施設も十分に準備できています…カジュアルな服装ですみません。赤ちゃんを寝かしつけるのが大変で、今は仕事着じゃないんです」と。
ドイツのメルケル首相は「まだワクチンも治療法もなく、人口の60~70%が感染する恐れがある。医療制度への過大な負担を避けなければなりません」と物理学者出身らしくデータに基づき政策を述べながら、
「普段めったに感謝されることのない人々にも感謝の言葉を贈らせてください。スーパーのレジ係や商品棚を補充してくださる方々。彼らは現在、最も困難な仕事の一つを担ってくれています。仲間である市民のために、日々働いてくれて、私たちの生活を支えてくれてありがとう」
彼女たちの国民を勇気づける言葉の大きさに胸が震えました。


​▲30歳の時に読んだ「大統領の英語」そして、演説集の数々。リーダーたちは自分の言葉を持っています。​

最も恐れるべきは

「今、私たちが最も恐れるべきは恐怖それ自体です」
緊急事態宣言の発令にあたって、4月7日の夜に記者会見した安倍首相の印象深い言葉。
私はこの言葉を聞いて、すぐ、上にあるルーズベルト大統領の言葉を思い出しました。87年前、アメリカのリーダーは演説しました。

行動しなければならない

「私たちが恐れなければならないのは、恐れの気持ちだけなのだ」
そして、戻ることのない時の流れにあって、今、現在を特別な危機の時としてとらえ、指導者としての強い意志と運命観を表現した言葉が続きます。しかも、その言葉は明確であり簡潔でありながら、このように結ばれるのです。
「やり方はたくさんありますが、それについて語っているだけでは何も実現しません。私たちは行動しなければなりません。直ちにです」
事実、彼は、彼らは行動し大恐慌を乗り越えることができたのです。

予算を組み立てる

さて、メルケル首相のドイツは財政状態が健全で、国債を全く発行していません。ですから、思い切った予算を組むことができます。
非常事態宣言の中、借金大国の日本が新型コロナウイルスに対応すべく予算を組んでいます。私たちの町もどのような政策をとるべきか検討しているところです。

私たちの政策

5月15日、議会から政策に関する要望書をいただきました。
すでに、役場の各課に必要な政策の提出を指示しておりましたので、現在、その政策を練っているところです。
この広報が皆さんに届く頃、内容が固まっているはずです。
議会からの要望、職員のアイデア、なにより町民の皆さんの声を政策に反映させるべく努力していかねばなりません。私たちも行動しなければなりません。直ちにです。

5月


きちんと手洗いしてますか?
(共同通信配信 河北新報社提供)

手洗いのはじまり

石けんで手を洗う。感染症の予防に手洗いが有効なことは誰でも知っています。けれど、その常識が広まったのは約170年前のこと。ハンガリー生まれの産科医ゼンメルワイスが提言するまで、医師の間にも手洗いの習慣はなかったというのです。
彼は出産直後の女性が高熱に苦しむ病気の予防に取り組むことに。注目したのは医師の手や指の汚れ。手術をしたばかりの医師から診察を受けた産婦に患者が多いことに気づきます。そこで同僚に手洗いを呼び掛け石けんや塩素水を常備するのですが「産科医をまるで犯罪者扱いしている」と医学界は猛反発。彼は大学を追われ、失意のうちに亡くなったと言われています。「感染防護の父」と称されるのは死後のこと。

効率化で縮小路線

さて、東日本大震災から9年、新型コロナウイルスが世界を襲い、再び危機への対応が問われていますが、担当する厚生労働省の職員の53%が非正規。地域の保健衛生の拠点となる保健所数もこの30年で300以上減っています。また、厚労省は去年9月、再編統合の議論を求める全国424の公立・公的病院名を公表。幸いにも川崎病院は該当せず、ほっとしましたが、この国の医療の供給体制は縮小しているようです。

お互いのために

改めて、人類は今、特効薬やワクチンがまだ見つかっていないウイルスとの過酷な闘いの中にいます。
本日出された緊急事態宣言の狙いは、医療崩壊を防ぎ、死亡者や重症者を可能な限り少なくとどめることにあります。
ところが、日本の場合は外出自粛やイベント開催制限などに強制力がないとも言われています。だからこそ、私たち一人ひとりが、お互いのためにできることをしっかりとやっていこうではありませんか。
手を洗う。しっかり食べ、しっかり睡眠をとる。マスクを着ける。詳しくは本紙2・3ページを。
自分のために、家族のために、私たち一人ひとりがお互いのために。
この広報が町民の皆さんに届くころ、コロナウイルス感染が縮小することを祈ってやみません。

4月

十五の君へ

いつもなら晴れやかに卒業式が行われます。けれど、新型コロナウイルスの感染拡大で県内の自治体の多くが在校生の出席を見送りました。仙台市では保護者も不参加。3月1日は各地の高校でも変則的な卒業式。全国の小中高校への急な臨時休校要請もあり、異例の寂しい形で学び舎を巣立った卒業生。式に参列して温かく送り出すことが叶わなかった父母や在校生。気の毒なことでした。
ところで、昨年のちょうど今ごろ「268グラムでうまれた赤ちゃん、人工呼吸器や点滴で3200グラムまで育ち、元気に病院を退院!」と報道されたことを覚えていますか?
人間は、誰でも未熟な状態で生まれてくる。それがほかの動物との大きな違いであると言われています。馬や牛は、生まれて間もなく自分の足で立ち上がり駆け出します。猫は生まれて2週間もすれば、自分でエサを見つけ出すのです。
人間だけが、生まれてから時間をかけて少しずつ、少しずつ成長していくのです。人間だけが、ほかの人間の力を借りねば、成長できない生き物なのです。未熟だから弱いのではなく、未熟だから可能性があるということなのでしょう。
ただ、この国には学校に行けなかったり、いじめで苦しんでいる子どもたちが多いのも事実です。すべての子どもたちが、勇気をもって自分の部屋から、いじめの鎖から飛び立てることを願っています。
仲間との出逢い、そして別れ、一人ひとりが成長していくための経験を積み重ねる学校生活は、とても貴重なものであり大切なものです。
しかし、それだけが人生のすべてではありません。一人ひとりの人生は誰も予想することができません。
忘れてならないことは、十五の君のことを、家族はとても大切に育て見守ってきたということです。


​川崎中の48名、富岡中の11名が学び舎を巣立つ。川崎中では、在校生の代表者のみが出席。来賓も町と町議会から1人ずつ。送辞、答辞に続いて卒業の歌を発表する卒業生たち。素晴らしい歌声が響き渡る中、想い出がよぎり涙する生徒多し。いざ行かん。若きいのち!!    3月7日 午前11時頃 川中体育館​


​▲15歳の町長 弁論大会にて​

​3月

ーものづくりへの情熱が時代を創るー

このイヤホン いや 本当にすごい!

▲「intime(アンティーム)」の「轟(GO)」。ブランド名のアンティームはフランス語で「親友」 ▲町長もびっくりの音質。
今、日本中の若者たちが注目しているイヤホン。それを作っているのは、川崎町にある(株)カマフサ。テレビで大人気だった「下町ロケット」さながらに優れた技術でものづくりをしています。
今、なぜ、イヤホンなのか?開発者の渡部さんと(株)カマフサ社長の及川さんに話を聞きました。
これは、耳寄りな話になります。

町長 渡部さんがイヤホンを作ったきっかけは何ですか?
渡部 4年前、息子たちが100円のイヤホンを携帯につないで音楽を聴いていたんです。何とかして若い世代に安くて良い音の出るイヤホンを提供したい。それが始まりです。
町長 技術的なことは?
渡部 企業で長くセラミックの研究をしてきましたが、その特性を活かすことができました。
町長 価格的には?
渡部 4000円から。中学生や高校生が手の届く値段。その分、及川社長には申し訳なくて…。
及川 いえ、有難く思います。渡部さんが川崎中出身で、故郷にある工場で作りたいとのことから仕事の依頼があり引き受けました。


​▲アンティーム?そうワンチーム!!​

「下町ロケット」ならぬ「故郷イヤホン」に

町長 故郷の工場で?
渡部 若者たちがどんどん都会に出ていきます。けれど、故郷でも世界に通用する素晴らしいものが作れるんだということを示せたらいいですね。
町長 及川さん、ものづくりの世界はとても厳しいんでしょうね。
及川 私の工場は大きくありませんが、お客様の信頼を第一に社員一同努力しています。熟練の技術を得るには時間も必要です。ぜひ、この機会に若い人にも、わが社で働いていただきたいと思います。
渡部 町工場には長い経験から来る勘と技を持った人々がたくさんいます。テレビの下町ロケットのように良いものを作るためには職人さんの腕が必要なのです。
町長 若手職員から、これは有名なイヤホン。ふるさと納税の返礼品に絶対必要と耳が痛くなるほど言われました。
及川 私もそう思います。故郷で作った「故郷イヤホン」ですから。


​▲繊細な作業が品質を決めます​


​▲新人さんも奮闘中​

オーツェイド(株) 社長 渡部 嘉之   
売れるかどうかを考えるのは大切。
でも人を感動させる製品作りこそが新しい市場を作ると信じています。
昭和38年、大阪府出身。父親の転勤で川崎町へ。川崎中学校から国立宮城高専電気工学科を卒業し、日立金属(株)に入社。その後太陽誘電(株)に移るも30年にわたってセラミックの研究と商品開発に携わる。4年前、会社を設立しイヤホンブランド「intime」を立ち上げる。昨年発売した碧Lightは、テレビでも度々取り上げられるイヤホン専門店「eイヤホン」の有線イヤホン年間売上個数ランキングで堂々の1位を獲得。特に「音が良い」「コストパフォーマンスが高い」という評価により、業界内でも風雲児として独自の地位を築いている。56歳。

(株)カマフサ 社長 及川 義孝
蔵王連峰の麓に根付く技術者魂。
お客様に「安心」「信頼」を提供するのが私たちのモットーです。
昭和27年、川崎町出身。柴田農林・川崎校、東北学院大卒業。東北大学の職員として40年間、様々な部署を経験。定年を期に、父親が39年前に創業した会社の社長に就任。電子部品の組み立て・製造をする厳しい業界で、地元の人々を雇用し「100年続く会社」を目指す。人手不足の世の中にあって熟練の技を持った従業員は宝であり、今後の育成が課題でもあると認識する。67歳。

2月

川崎町長老・元川崎町長
寛野秀雄氏、逝去。

 昨年12月29日、川崎町長老・元町長の寛野秀雄氏(89歳)が逝去されました。葬儀は1月5日に龍雲寺で営まれ、多くの町民がその死を悼むとともに小山町長が弔辞を述べました。
あ寛野秀雄氏のご冥福をお祈りし、足跡をたどります。
高校を卒業後、川崎村役場に奉職。昭和52年、斎藤忠夫町長から47歳の若さで総務課長に抜擢される。右は奥様。翌年に発生した宮城県沖地震の復旧では全職員を指揮監督するとともに自らも献身的に現場に足を運ぶ。また、斎藤町長が導入した「患者輸送バス」は、のちに町民バスの運行に結実したとも言われる。
63歳、助役に就任して5年目。大浪正志町長の3期・4期を支え町職員を束ねること8年近く。この間、国営みちのく公園の開園、セントメリースキー場の完成、支倉常長まつりの開催、そして、町の保健・医療・福祉の拠点となる「やすらぎの郷」の整備に尽力する。
この時の実績と経験が、後の町長への道を切り開くこ
とになる。
平成11年5月、69歳。以後、2期8年、町長としてまちづくりの先頭に立つことに。「町民バス」の運行、高齢者への紙おむつ支給や子育て支援の先駆けとなる「健やか誕生祝い金」の制度を確立。全国から若者を集めるアラバキロックフェスティバルの招致に成功。
また、平成の大合併の際に「合併しない」決断をする。「しっかりとしたまちづくりをすれば、おのずと道は開ける」と。また、在任中に完了した施設の耐震工事により、退任の4年後に発生した東日本大震災では、被害を最小限にとどめた。
▲老いて、ますますダンディ。80歳。 ▲ 平成13年10月、「ねんりんピック」全国大会ゲートボールの部に県代表として出場し「チーム・しゃくなげ」の報告を聞く、71歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平成19年12月、77歳。川崎町長老に推挙される。


平成30年、春の叙勲で旭日双光章を受章する。88歳。職員として、助役として、そして、町長として町政に多大な貢献をされたことが評価される。
お祝いを述べる小山町長のスーツの衿には、寛野町長から引き継いだバッヂが…。

 受け継ぎて

8年前、こんな話をされました。「私が若い時、総務課長として仕えた斎藤忠夫町長は、町のお医者さん。町民にとても優しく、人気のある、情け深い、情の人だった。
一方、大浪正志町長は、農協の組合長出身、いわば経営者。行政にも経営的センスを取り込み、利を忘れてはならぬとしていたようだ。
私は二人の町長の身近に仕え、大きな責任を負わねばならぬ者の絶え間ない努力を見た。私は所詮、行政マン。まさか、町長になろうとは予想もしなかったが、町長になって、その責任と孤独がいかに大きいものかを思い知らされた。
今はただ、ほっとしている。そして、本当に町民の皆さんに感謝している。厳しく指導しながらもついてきてくれた職員に感謝している。
町長に与えられるバッヂは、責任と孤独を表していると思う。ついては、私が8年間、身につけた町長のバッヂ、これを、小山町長に引き継いでもらいたい。」
寛野町長さんは、遠くを見ながら、思い出すようにゆっくり、ゆっくり話をされました。

今、私たちは、寛野町長さんから多くのものを引き継いでいます。様々な施設はもとより、様々な政策はもとより、あなたが職員として、助役として、町長として永年にわたって厳しく育て上げた職員を引き継いでいます。
職員は町の宝、財産です。
あなたが厳しく育て上げた職員が、現在でも数多くまちづくりの先頭に立っています。退職されても様々な分野で活躍されています。
昔の人は言いました。

物を残すことは大切なり
名を残すことも大切なり
しかし、一番大切なことは
人を育て後世に残すことなり

寛野秀雄町長の永年にわたる川崎町への御貢献に町民を代表して心より感謝と御礼を申し上げ弔辞といたします。数々の御指導、肝に銘じ、精進すること、お約束いたします。安らかにお眠りください。

1月

令和の時代も
地平線を見据えて

新しい年が始まりました。

昨年を振り返りますと、日本各地で災害が発生。豪雨、台風、地震。そして、危険な暑さも災害となりました。川崎町では県内の市町村で、いち早く小中学校にエアコンを設置するとともに避難所となる各地区の集会所にも完備したところです。
そのような中、10月に襲来した台風19号の被害は、わが町にとっても大きなものとなりました。復旧に3億7,000万円を要し、町の持ち出し分は、約1億円となります。
昔の人は言いました。
「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難」

地方創生が叫ばれて5年。この間、大きな予算が投入され続けています。地方創生は、人口減少の抑制と東京一極集中の是正が目的。政府は来年にも東京圏への人の転出入の均衡を図る予定でしたが、現在もなお首都圏への転入が超過し続けているのです。
この国は、人口減少と東京一極集中と自然災害の問題が深刻化しています。一方で、日本ほど水に恵まれた国もありません。国土の7割を占める山間部には、豊かな森が広がり、そこに降った雨は、浄化され、河川を形成し、田畑を潤す。これほど安心して水を飲み、水を使える国は世界でも少ない水穂、瑞穂の国なのです。
改めて、水害対策とともに、尊い人命を守るためには、普段から、地域社会での信頼、安心、連携の関係づくりを構築しておくことを忘れてはならないのでしょう。

これまで、多くの先輩たちが、町づくりの先頭に立ちました。繁栄のときがあれば、暗雲が立ち込めるときも・・・。
しかし、どのようなときも、この町が持ちこたえられたのは、指導者の見識や力量だけでなく、人々の努力と忍耐があったからなのです。

先輩たちは、苦難をしのいでは立ち上がり、気力を振り絞っては、地平線を見据えました。
彼らの価値観は、正直、勤勉、勇気。そして、寛容の中にありました。それは、これからも変わるものではないでしょう。
いつの時代も試練があります。
だからこそ、私たちは、皆様から与えられた信頼に感謝し、目の前にある仕事に謙虚に向き合っていかねばなりません。
季節はめぐり、やるべきことは山積しています。先輩たちが、凍てつく流れに挑んだように、私たちも地平線を見据えて歩いていきましょう。
次の世代にしっかりとバトンを渡すために。
それが私たちの務めなのですから・・・。

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